細野修一イラストレーション

博物館の注文

 各務原ゆかりの飛行機を紹介する博物館内の展示パネルには、写真ではなく、敢えて画家が描く絵にしたいと、展示企画の担当者から提案があった。そこで紹介されたのが細野修一さんだった。

 この各務原で、飛行機と人が、歴史の中でどう出会ったのか、展示パネルの文字原稿は既に200字にまとめてあった。200文字で表しきれなかった世界を、絵を描く人に託したい。これから、博物館の学芸担当者のイメージと絵を描く人とのすりあわせがはじまる。しかし、画家は画家で自ら描くイメージを犯されたくはないだろう。ある意味”闘い”である。

 初めて会った細野さんは飄々として、華奢な人という印象だった。
描いてもらう各務原ゆかりの飛行機8機種の説明をひととおり終えると、あとは細野さんに託すしかない。私が細野さんに注文をつけたのは次の通りである。

 8枚の絵は技術的な事項を満たすこと。航空技術的に見て絵に嘘偽りがあってはならない。これが最初の注文、必要条件であった。

 次に、博物館のテーマである、各務原の人々と、飛行機の関わりを描いてほしいこと。出来れば社会の中の一個人の存在や人の心の動きといった心象風景が現れれば望ましいとした。これが十分条件ともいうべき注文である。もし、これらの注文を満たせばあとは遊びの世界に突入してもかまわない。この領域に達すれば、遊びのテーマは、『花鳥風月』にしようと決めた。飛行機の絵に、ある時は花を愛で、あるときは風に月にあそぶ花鳥風月の世界を封じ、各務原の人達が飛行機と関わった一期一会の瞬間を、細野さんに託したのである。

 こんな注文をする方もする方だが、これを受ける細野さんも悠然としている。
さて、こうしてでき上がった8枚の絵の一つに、東京~ロンドン間の都市連絡国際記録を樹立した神風号の絵がある。ロンドンの国会議事堂上空を神風号が左翼を上にわずかにバンクしている。
『細野さん、ビッグベン上空の神風号はいいけど、機体の進行方向と、着陸地のクロイドン飛行場の相対位置はおかしくない?』
『ビッグベンからこちらの方向にクロイドン飛行場があり、飛行方向が逆ということはありません』
『薄ぼんやりした太陽が川面に映えていて、いかにもイギリスらしい雰囲気が素晴らしいけど、飛行場に着陸した時間と今描かれている太陽高度は大丈夫?』
『クロイドン飛行場の着陸時間が、現地時間の午後3時30分ですから、国会議事堂を通過している今の太陽高度は丁度このくらいです。』

 本来このような注文は、学芸員が各種文献類を調べて「神風号」の正確な位置や時間を割り出して描き手に指示すべきことだが、細野さんは予め調査をしていてそのことは既に作品に折り込み済みなのである。

 この神風号の後部座席に座る塚越機関士は、弁護士の父と英国人の母の間に生まれたが、その母の国の、しかも国の象徴たるBig Benの上空をどのような思いで見ていたのだろうか。

 春まだ浅き太陽が傾いて、わずかにオレンジ色をおびたテムズ河の残照を、左の銀翼に受けた神風号から、塚越機関士の心中まで伝わってくるようである。

 細野さんの描く世界は、技術の世界を飛び抜けて精神世界へと飛翔し、そして永遠へとつながっていく。