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東海道五十三次道中記

 日本橋     ついに京都三条大橋に向かって出発だ!

平成17年10月29日

 「日本橋」は江戸幕府によって慶長8年(1603)に創架され五街道の起点とされた。現在の日本橋は明治44年(1911)に完成。 出発する前に日本橋をグルーっと回ってみようと思う。

 まずは橋の真ん中。昭和47年に佐藤栄作(元)首相の揮毫による「日本国道路元標」(左)のプレートが埋め込まれている。全ての道路はここから出発だ。 

 橋の北詰め西側に行くと植え込みの中に「明治44年完成時の道路元標」右)と、現在の道路元標のレプリカが展示されている。

 橋を渡った南詰め西側には「日本橋由来碑」(高札場の構造)(左)が設置されており日本橋の歴史が記されている。

 また北詰め東側には「日本橋魚市場発祥の地碑」(右)がある。どういう訳か奥に女神が座っているというのがなんとなくチグハグ。

日本橋をグルっと見るだけでも新しい発見があり、結構楽しい。

 いよいよ京都に向け出発であるが、さすが日本橋、由来碑やレプリカを見に来る人が絶えない。 その中に熟年ご夫婦がリュックを背にレプリカを眺めていたので声をかけたところ、これから「日光街道」を歩くのだという。しばし談笑したのち北と南に。

平成17年10月29日 日本橋を出発。江戸時代の息吹を全部感じながら歩いて行こうと思っているので、いつ京都に到着するか分からない。

 日本橋高島屋前を通り過ぎて2本目の道を左に入り、 200mほど歩くと 「江戸秤座跡碑」(左) がある。 この当時、秤座は江戸と京都の2カ所のみだったようだ。

 中央通りに戻り、ブリジストン美術館の前を通って、建物に沿って右に曲がるとすぐのところに「安藤広重住居跡」(右)の立て看板がある。広重が住んでいた家は、当時としては珍しい2階家だったようですよ。 

 再び中央通りに戻り、目指すは「京橋の擬宝珠」(左)。

 日本橋と同時期に架けられた京橋であるが昭和34年(1959)に埋め立てられ3本の親柱が残された。このうち2本が明治8年に造られた擬宝珠の柱で、もう1本は大正11年に造られ街灯を備えている。

 隣に「銀座煉瓦の碑」。北詰め西側には「江戸歌舞伎発祥地碑」「京橋大根河岸・青物市場跡碑」があり見所が多い。余談になるが、「京橋交番の屋根」(右)が大正11年の親柱にそっくり。

 銀座通り(中央通り)ではこの他にも、 「銀座の柳由来碑」(左)、 「銀座発祥の地碑」(左)なども見られる。

 さらに銀座8丁目まで来ると「芝口御門跡碑」(右)、「三十間堀跡説明板」などなど見所が多い。 

 高速道路の下に「新橋の親柱」(左)が1本だけ残されている。 昔の橋は味があるなー。 並んで「銀座柳の歌碑」(右)もある。 


 ここから少し歩いた後、新橋駅へ寄り道をしてみた。ここには「汽笛一声の歌碑」「C−58の動輪」が展示されている。

 いよいよ本格的な歩きになりそうだ。次の目的地までが長い。 途中、芝の「増上寺」を見学したので思わぬ時間を取ってしまった。

 国道15号を西に向かって歩くこと30分。ビルの敷地の一角に百万江戸庶民を戦火から救ったという「西郷・勝会見の地碑」(左)が目立つ。

 しばらく歩き三田警察署前の歩道橋で右側に渡り「元和キリシタン遺跡碑」を見て再び左側に。

 ちょっと歩くと「高輪大木戸跡」(右)。当時この辺りは月見の名所で、かなりの賑わいであったそうだが今はひっそりとしている。  この先、「泉岳寺」「東禅寺・イギリス公使館跡」を見学して品川宿へ。

 JR品川駅前を通り過ぎると最初の宿場「品川宿」が近い。

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