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(10)箱根宿東坂 石畳の道を歩いていると江戸時代にタイムスリップだ。
| 「箱根の山は天下の剣・・・」と歌われた箱根越えにいよいよ挑戦。しかし今日1日で越えることは出来まい。「8里32km」もあるのだから。しかも天下の剣。今日は江戸側の「東坂」を登り、次回は上方側の「西坂」を下るとするか。箱根湯本の「三枚橋」から出発だ。 |
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平成17年12月2日
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北条一門は全滅したわけではなく家系は存続しており、寛文12年(1672)に狭山北条家当主氏治によって「五代の墓」が、ゆかりの早雲寺に竣工されたのである。 早雲寺には他にも「枯山水の庭」「元徳2年(1330)鋳造の梵鐘」「歌碑」など見所が多い。 |
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街道に戻り数分歩くと、右側の一段高い所に江戸から22番目となる「湯本茶屋一里塚跡碑」(右)と説明板がある。碑には東海道ならぬ「旧箱根街道一里塚跡の碑 江戸から二十二里」と刻まれている。 |
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追記:「正眼寺」の境内に「芭蕉句碑」(左)が有ったのだが判読不明であったため、道中記から外していた。このたび判明したので句碑を追加する。 「山路来て なにやらゆかし 菫草(すみれそう) 芭蕉翁」 野ざらし紀行の中の一句だが、箱根の山道にもこの一句が似合いそうだ。 |
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石畳に入ってすぐの右側に大きな四角い石が。説明書きによると江戸時代の「馬の飲み水桶」右)だそうな。馬もここで一休み。 |
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鎖雲寺からすぐの所に「女転がし坂」という色っぽい上り坂がある。今は藪で通れないが、かなり急な坂だったようだ。 説によると、「急な坂道で馬に乗ったご婦人、この坂で落馬、死んでしまった」ことから「女転がし坂」と言われるようになったそうだ。かわいそうに、ナンマイダーナンマイダー。 |
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女転がし坂の先に「割石坂」入り口がある。曽我五郎が刀の切れ味を試そうと路傍の石を真っ二つに割った場所だそうな。ここから「石畳道」に入る。しばらく歩いて一旦車道に出るが、すぐに「国指定史跡・箱根旧街道」の道標がある道に入って行く。 |
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大澤坂を登り切ると車道に出て畑宿の街並みに入るがここは間の宿。「畑宿茗荷屋本陣跡」(右)がある。箱根寄木細工で知られているが、寄木細工の歴史は古く、記録では「小田原北条時代」までさかのぼるそうだ。 |
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石畳道を登り「西海子坂」を過ぎると一旦車道に出て「七曲がり」の車道をしばらく歩き「橿木(かしのき)坂」(右)に行き着く。 |
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この樫の木平に「見晴らし茶屋」(右)(甘酒茶屋ではない)があったのでここで休憩と昼食。 といってもすでに午後1時半。 |
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| 見晴らし茶屋から少し歩くと、標識は無いが左に下る旧道がある。ここから、またまた「石畳道」。「甘酒橋」を渡り「猿滑坂」を上って車道に出ると横断歩道。その向こう側に、なんと、先ほどよりもキツイ階段が有るではないか。 |
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再び旧道に戻り「於玉坂」「白水坂」「天ケ石坂」を上るとやっと下りになる。下る途中に「箱根八里は馬でも越すが こすに越されぬ大井川」の「馬子唄碑」右)があり、その先は「権現坂」を通って一気に芦ノ湖までの下りだ。 |
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車道左手の「箱根杉並木」を500mほど歩き「箱根関所跡」へ。到着してみると,、なんと「関所跡」ではなく「関所の門」(右)が出迎えてくれた。平成19年完成を目指して関所の復元工事真っ最中。 |
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| 箱根は歩きがいがあった。とくに良かったのは「石畳道」を歩いて「江戸時代」を直接感じ取ることが出来たことである。 江戸時代を「写真や展示物で見ること」は容易にできるが、「感じること」ができるのはここだけではないだろうか。 次回はいよいよ「相州・相模国」から「豆州・伊豆国」へ国境越えだ。 |
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