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東海道五十三次道中記

 (10)箱根宿東坂   石畳の道を歩いていると江戸時代にタイムスリップだ。

 「箱根の山は天下の剣・・・」と歌われた箱根越えにいよいよ挑戦。しかし今日1日で越えることは出来まい。「8里32km」もあるのだから。しかも天下の剣。今日は江戸側の「東坂」を登り、次回は上方側の「西坂」を下るとするか。箱根湯本の「三枚橋」から出発だ。

平成17年12月2日

 箱根越えで「早雲寺」(左)を見過ごすわけにはゆかない。天正18年(1590)、豊臣秀吉に滅ぼされた「北条氏五代の墓」(右)が有る寺だ。(北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)

北条一門は全滅したわけではなく家系は存続しており、寛文12年(1672)に狭山北条家当主氏治によって「五代の墓」が、ゆかりの早雲寺に竣工されたのである。

 早雲寺には他にも「枯山水の庭」「元徳2年(1330)鋳造の梵鐘」「歌碑」など見所が多い。

 早雲寺から7〜8分歩くと「正眼寺」であるが、裏側の手入れされた坂を登って行くと、建久4年(1193)、父の仇と工藤祐経を討ち取った蘇我五郎十郎を供養する「曽我堂}(左)に行き着く。

 建久4年といえば800年以上も前。歴史を感じる。

 街道に戻り数分歩くと、右側の一段高い所に江戸から22番目となる「湯本茶屋一里塚跡碑」(右)と説明板がある。碑には東海道ならぬ「旧箱根街道一里塚跡の碑 江戸から二十二里」と刻まれている。

追記:「正眼寺」の境内に「芭蕉句碑」(左)が有ったのだが判読不明であったため、道中記から外していた。
このたび判明したので句碑を追加する。

 「山路来て なにやらゆかし 菫草(すみれそう)   芭蕉翁」

 野ざらし紀行の中の一句だが、箱根の山道にもこの一句が似合いそうだ。

 1〜2分歩き 「石だたみ入り口」 と記された標柱に従って右に下りて行くと、有りました!まさに箱根を象徴する「石畳道」(左)が。 江戸時代の旅人が歩いた石の上を歩いていると思うと感動だなー。

 石畳に入ってすぐの右側に大きな四角い石が。説明書きによると江戸時代の「馬の飲み水桶」右)だそうな。馬もここで一休み。

 ほどなく車道に戻り、「葛原坂」を登ってゆくと道端に「初花の瀑碑」が。貞女の鏡と語り継がれた「初花」の名が付いた滝だが、ここからは見えない。

 しばらく歩くと「鎖雲寺」という寺院があるが、ここに「飯沼勝五郎・初花の墓」(左)がある。仇を捜して旅をするうちに病の身となった勝五郎。妻の初花は夜な夜な滝に討たれ病回復を祈ったとか。初花の一念が実り勝五郎は病が癒え、見事に仇討ちを果たしたと伝えられている。
  

 鎖雲寺からすぐの所に「女転がし坂」という色っぽい上り坂がある。今は藪で通れないが、かなり急な坂だったようだ。 説によると、「急な坂道で馬に乗ったご婦人、この坂で落馬、死んでしまった」ことから「女転がし坂」と言われるようになったそうだ。かわいそうに、ナンマイダーナンマイダー。

 女転がし坂の先に「割石坂」入り口がある。曽我五郎が刀の切れ味を試そうと路傍の石を真っ二つに割った場所だそうな。ここから「石畳道」に入る。しばらく歩いて一旦車道に出るが、すぐに「国指定史跡・箱根旧街道」の道標がある道に入って行く。

 一旦下るがすぐに上り。この坂を「大澤坂」(左)と呼び当時の石畳の道が一番よく残っている場所である。結構きつい坂で、しかも苔むして滑りやすいが、江戸時代を思い切り満喫できる道だった。当時の苦労がしのばれる。

 大澤坂を登り切ると車道に出て畑宿の街並みに入るがここは間の宿。「畑宿茗荷屋本陣跡」(右)がある。箱根寄木細工で知られているが、寄木細工の歴史は古く、記録では「小田原北条時代」までさかのぼるそうだ。

 畑宿から旧道に入ると「畑宿一里塚」(左)が迎えてくれる。
 発掘調査にもとづき復元したもので、東海道中唯一その形態を留めるものだそうだ。

 石畳道を登り「西海子坂」を過ぎると一旦車道に出て「七曲がり」の車道をしばらく歩き「橿木(かしのき)坂」(右)に行き着く。

 ここから車道と分かれるが見上げるような階段。こりゃー厳しそう。50段ほど登ったらまた階段。いやー参った。結局270段ほどあった。

 うんざりするほどの長い上りだった。上り切ったところが車道であるが、そのすぐ先が「樫の木平」という見晴らしの良い場所。

 ここに「貴方は 今 歌っていますか 小澤征爾」(左)と刻まれた石碑がある。 小澤征爾が何故ここに? 見落とした。

 この樫の木平に「見晴らし茶屋」(右)(甘酒茶屋ではない)があったのでここで休憩と昼食。 といってもすでに午後1時半。
山掛け蕎麦が旨かった〜。
  

 見晴らし茶屋から少し歩くと、標識は無いが左に下る旧道がある。ここから、またまた「石畳道」「甘酒橋」を渡り「猿滑坂」を上って車道に出ると横断歩道。その向こう側に、なんと、先ほどよりもキツイ階段が有るではないか。 

 やっと車道に戻ると、追い打ちをかけるように「追込坂」の石標。いやーほんとに参ったが緩い坂だったので助かった。

 すぐに「旧街道資料館」「甘酒茶屋」(左)。ここで休憩。ここの甘酒は見過ごせない。なんてったて江戸時代から12代続く茶店だもの。

 再び旧道に戻り「於玉坂」「白水坂」「天ケ石坂」を上るとやっと下りになる。下る途中に「箱根八里は馬でも越すが こすに越されぬ大井川」「馬子唄碑」右)があり、その先は「権現坂」を通って一気に芦ノ湖までの下りだ。

 ついに「芦ノ湖」に到着。

 「箱根神社鳥居」(左)の朱色が眼にしみる。鳥居をくぐった左手に「賽の河原」がある。また鳥居を戻ったところに「身替り地蔵」が真っ赤な涎掛けを着けて座っている。

 車道左手の「箱根杉並木」を500mほど歩き「箱根関所跡」へ。到着してみると,、なんと「関所跡」ではなく「関所の門」(右)が出迎えてくれた。平成19年完成を目指して関所の復元工事真っ最中。

 箱根は歩きがいがあった。とくに良かったのは「石畳道」を歩いて「江戸時代」を直接感じ取ることが出来たことである。  江戸時代を「写真や展示物で見ること」は容易にできるが、「感じること」ができるのはここだけではないだろうか。
 次回はいよいよ「相州・相模国」から「豆州・伊豆国」へ国境越えだ。

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