|
|
|---|



(6)藤沢宿 おしゃれなお地蔵様を発見。
| 「藤沢宿」は東海道を行き来する旅人だけではなく「遊行寺」への参拝客、あるいは「江ノ島弁財天」への参詣客などでも大いに賑わった宿場であった。 戸塚宿から藤沢宿までは地響きを上げて通り過ぎるトラックに付き合って歩いたが、江戸時代は静かだったのだろうーな。 |
|---|
平成17年11月16日
|
この先で右側に移りしばらく歩くと「旧東海道松並木碑」(右)がある。 |
|---|
|
境内右手に「藤沢敵味方供養塔」がある。 |
|---|
|
正面参道を下り「遊行寺橋」(右)を渡って街道に出たのだが、ここで「なるほど」と納得した事がある。旧街道は遊行寺のところで何故か鍵の手に曲がるが、理由はこの橋を渡るためだったのだ。 |
|---|
| 街道の右側を歩くと、昔懐かしい建物がちらほら有り、今までとはちょっとだけ違う。ほどなく歩道の端に「蒔田本陣跡」の標柱が。 |
|---|
|
街道に戻り、次の交差点でちょっと寄り道をして「白旗神社」へ。ここには「義経公鎮霊碑」などがあるが、ここにも「芭蕉句碑」(右)がある。 |
|---|
| 再び街道に戻り小田急線・伊勢山橋を渡った少し先の右側にそっけなく「見附跡」とだけ記された標柱が有った。標柱を建ててくれただけでもありがたいのだが、せめて「上方見附跡」ぐらいにはして欲しかった。藤沢市教育委員会さん、次の時はお願いしますね。 |
|---|
|
まもなく国道1号に合流。合流した向こう側に小さな御堂が建っている。四谷辻の「四谷不動と大山道道標」(右)である。堂外の初代道標は万治4年(1676)に江戸浅草蔵前の大山講中が建てたもの。 |
|---|
| この先は国道1号を歩くことになるが、松並木が続き「東海道を歩いている」そんな雰囲気が楽しめる街道歩きである。 |
|---|
|
茅ヶ崎一里塚から1kmほど歩くと、道が大きく右にカーブする。その先の「鳥井戸橋」を渡ると「南湖の左富士の碑」(右)が。ここは安藤広重も五十三次絵で描いている有名な場所。 |
|---|
| 残念ながら左富士は見えなかったが、実は東海道には「左富士」がもう1カ所ある。 |
|---|
|
建久九年(1198)12月、源頼朝は橋の落成式に参列。 帰途、義経一行の亡霊が頼朝の前に現れ乗馬が棒立ちになり頼朝は落馬。 これがもとで頼朝は翌年死去。後年、里人たちが、義経一行の霊を慰めるためこの弁慶塚を造ったといわれているそうだ。 |
|---|
このあと鶴峯八幡宮にお参りして「平塚宿」へ。