日光街道道中記
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(8)中田宿

江戸時代を想像して、一直線の松並木をテクテクと30分も歩きました。

 江戸時代の中田宿は、現在の利根川橋下の河川敷であった。洪水などの影響で何回か移転しているが、大正から昭和にかけての堤防改修工事で宿場跡は消滅してしまい、今の中田町で往時の面影を探すことはできない。

平成19年3月20日

 板東太郎と呼ばれた利根川(左)を渡ると、「いよいよ茨城県」(左)に入る。



 橋を渡り終えたら「左に下って行く」(右)が、この道は旧日光街道ではない。

 坂を下ると道は右にカーブしているが、カーブ際に「房川渡と中田関所跡」の説明板(左)が建てられている。

 当地と栗橋の間の利根川の流れを房川(ぼうせん)と呼び「房川の渡し」といわれた渡船場があったこと、中田関所が設けられていたこと、等が記されている。

 数分歩くと火の見櫓の下に「中田宿説明板」(右)が建てられている。 利根川河川敷に、延長530mに渡って、本陣・問屋・旅籠・茶店などが軒を並べていたが、今は全く痕跡が無い。

 5〜6分歩くと、左奥に「鶴峯神社」が見える。この神社の創建は源頼朝とも二代将軍源頼家とも言われるそうだ。 神社のすぐ先には「光了寺」(左下)という静御前ゆかりの寺院がある。

 光了寺は、以前は栗橋宿にあり光柳寺と称していたが、静御前の亡骸を葬った寺だとされている。

 寺には静御前が後鳥羽上皇から賜ったという 「蛙獏龍の舞衣(あまりゅうのまいぎぬ)」など遺品が保存されているそうだ。

 山門を入ると、左側に芭蕉句碑が建てられている。
 「いかめしき 音や霰(あられ)の 檜木笠  」
いかめしき・・・・うーん烏賊飯かと思ったよ。

 この先の道路は見渡す限り真っ直ぐ(左)。ごく普通の町並みがどこまでも続いており、左にカーブするとJR宇都宮線の踏切となる。

 踏切を渡ると、またまた松並木の真っ直ぐな道が続くが、この道路は「中田の松原」(右)、あるいは「茶屋新田の松並木」と言われ、一里近くに渡って一直線の松並木が続いていたそうだ。

 当時の資料に、「東海道にもこれだけの松並木は無い」と記されるほどの、自慢の松並木だったのだとか。

 歩いても歩いても景色が変わらない一直線の松並木をテクテクと30分。県道との交差点を過ぎると古河宿が近い。

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