日光街道道中記
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(4)粕壁宿

鍾馗様が居ましたよ。五月人形ではなく屋根の上に。

 朝早く江戸を出発すると夕方到着する宿場がここ粕壁宿であった。粕壁は桐箪笥の産地として知られているが、これは日光東照宮造営のために全国から集まった工芸職人が粕壁に移り住み、地元産の桐を使って桐工芸品を創り出したのが始まりと言われている。現在の春日部市は、町村合併の際、この地を治めていた春日部氏にちなみ粕壁町を春日部町と変更し、さらに昭和29年に春日部市となっている

平成19年3月7日

越ヶ谷の宮内庁埼玉鴨場前を出発し、東武線の踏切を渡り、国道4号の高架下を通って約30分。街道からちょっと右に入ると神社がある。  

 今はひっそりしている「下間久里の香取神社」(左)だが、7月の例大祭には無形民族文化財の「獅子舞」(左)が勇壮に舞われるそうだ。



 香取神社を出ると10分ほどで国道4号に合流する。この先1時間近くはただただ歩くのみ。やっと見つけたのが「備後一里塚跡碑」(右)である。ここまでが長かった!

 備後一里塚から30分。3方向に分かれる道の左側が「春日部大通り」だが、左に曲がってすぐ右側の「東陽寺」(左下)に立ち寄ると。

 本堂の階段下に、河合曽良旅日記の一部「廿七日夜カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と刻まれた石碑(左)が見られる。 

 芭蕉と曽良はここ東陽寺に泊まった、といわれているが、小渕の観音院に泊まったともいわれている。

 「春日部大通り」(右)が旧日光街道であるが、この通りには昔の面影が少なく、本陣跡も問屋場跡も見あたらない。これは困った。

 困ったときは資料館だ。ということで向かった先が「春日部市郷土資料館」。 「粕壁宿の町並み模型」(左)が展示されているので宿場の様子が良くわかる。

 ロビンソンデパートの対面に本陣が、その左側に脇本陣があったようだ。しかし、今の街道筋には表示が無いため全くわからない。

 ロビンソンデパート前から数分歩くと、右側の「蔵造りの商店前に背の高い道標」(右)が建てられており、「西南いハつき(岩槻) 北日光 東江戸」とある。

 さらに数分先の交差点向こう側に粕壁宿の案内板が建てられている。粕壁宿歴史探訪マップ(郷土資料館で入手)によると、この辺りに「問屋場」(左)が有ったようだ。

 1〜2分歩いた先に「永嶋商店」(右)という米屋さんが有るが、なんと慶長年間創業というから400年以上続く老舗。 屋根の上に何かある。(←の先)

 よく見ると「鍾馗様」(右)の鬼瓦なんです。京都ではよく見かけるそうだが、粕壁では珍しい。

 永嶋商店の数分先の交差点を右に曲がる道が旧日光街道であるが、真っ直ぐ進み「最勝院」に寄り道を。

 「春日部」の由来となった「春日部重行の墳墓」(左)が墓地の奥に有る。 足利尊氏の軍勢に敗れた春日部重行は京都で自刃。 遺骨が持ち帰られ最勝院に葬られたのだとか。

 街道に戻り、古利根川の新町橋を渡って、すぐに左へ曲がる道が旧日光街道である。10分ほど歩くと9番目の「小渕一里塚跡碑」(右)が日光側を向いて立っている。うっかりすると見落としそう。

 一里塚のちょっと先のY字路が「小渕の追分け」(左)で、「追分け道標」(左)に「左日光道」と刻まれているので左へと曲がって行く。

 数分で国道4号に合流するが、合流して5〜6分のところにある「観音院」は芭蕉と曽良が最初に泊まった場所だとも云われている。

 山門を入ると「芭蕉句碑」(右)が。
 「毛(も)のいえば 唇さむし 秋の風  はせを」

 次の宿場である杉戸宿へは、街道(国道4号)を1時間近く。昔の人は健脚だったんだなー。  

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