日光街道道中記
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(16)雀宮宿

雀宮宿(すずめのみやしゅく) なんともロマンのある宿場名だが、実は悲しい伝説がある。

 雀宮宿は、宿内にある 「雀宮(すずめのみや)神社」 に由来している。 この宿場も石橋宿と同様に、当時の街道と現在の国道4号が重なっており、 宿の長さも5町20間(600m弱)と小さな宿場であった。

平成19年4月4日

 雀宮宿に入る少し手前の国道右側に石碑が1本立っている。「茂原正観音道」(左)と刻まれているが、下野三十三観音霊場の二十番札所へ行く道標である。


 しばらく歩くと99kmポスト発見。見どころの無い道を歩いていると「ゾロ目(揃目)」(右)というだけで新発見をしたような。

 百武さんという方のブログに「総アクセス数が1111になりました」という記述が有ったが、これなどはゾロ目のゾロ目。

 雀宮町に入ると左側の駐車場の端に「雀宮本陣跡碑」(左)が建てられている。それほど小さくはないのだが、うっかり見落としてしまい、うろうろと探し回ってしまった。

その先右側の黒い屋敷門と立派なお屋敷が、かつて「脇本陣」(右)であった芹谷家である。

 今の雀宮は街道沿いのひなびた町、という雰囲気だが車だけは多い。車の切れ目を探してシャッターを押すのだが、脇本陣跡門の撮影は苦労した。

 脇本陣跡から数分先に宿場名にもなった「雀宮神社」(左)がある。ロマンチックな名称だが、幾つかある云われの内の一つ「紅雀伝説」をご紹介。
 
 藤原実方朝臣を追ってここまできた彼の若妻がここで死去。一方、実方朝臣も落馬で命を落としてしまうが、紅雀となって奥方の埋葬されている場所まで飛来し、ここで息絶えてしまったのだとか。

 雀宮神社の前に「100kmポスト(右)が建てられている。特にどうということは無いが、区切り、ですかね。

ここから4月10日

 国道をテクテクと30分、左のちょと奥まったところに見える派手なお堂は「寿鶴(すず)薬師堂」(左)。屋根も壁も扉も真っ赤。派手だナー。小さいけれど存在感あるよ。

 さらに20分ほど歩くと「一里」(右)というバス停が有る。ここは26番目の「江曽嶋一里塚」が有った場所だが、今はバス停の表示だけになってしまった。

 その先の交差点に「東京街道」(右)の道路標示が。 が、ここは栃木県、ピンと来ないナー。 


 日光街道とは直接のつながりは無いが、雀宮駅ホームで珍しい物を発見。

 階段を降りたところの左右に「古ーい街灯」(左)が建てられている。
柱根本部分に「鐵道院」、横へ回ると「明治四十五年七月製造」とある。駅舎改築担当者の心遣いが、この街灯を残してくれたのでしょうね。

 参考までに:雀宮駅の開業は明治28年(1895)だそうです。

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