日光街道道中記
表紙へ戻る

(14)小金井宿

満開の桜の向こうにお寺の本堂がかいま見える、風流な構図だねー。

 14番目の宿場である小金井宿は、当地の西側にあった金井村が現在地に移住し、小金井村と称して宿場となったものだ。当宿場の南の入り口では日光街道唯一の、左右とも現存する国指定史跡の一里塚を見ることが出来る。

平成19年3月27日

 国道4号を北上し、銅市金属工業の横を入ると、すぐに道標を兼ねた「石仏群」(左)を見ることが出来る。

 この先の旧日光街道は用水沿いだというが、どうもはっきりしない。それらしい道を選んで歩いていたのだが、なんとも心もとない。そうこうしているうちに国道4号に出てしまった。

 仕方がない、このまま国道4号を歩くとするか。   しばらく歩くと「下野市」(右)の表示が。小金井宿が近い。  なんとか旧街道に復帰したいものだ。

ここから平成19年4月4日

 JR小金井駅入り口の交差点を左に入ると、最初の南北に交差する道路が旧日光街道である。住宅街の中の道を北上すると「旧日光街道は行き止まり」(左)となってしまった。

 一旦国道に出て左に曲がると、すぐに「小金井一里塚」(右)が現れる。この一里塚は左右とも現存しているという貴重な一里塚で、国指定史跡となっている。

 だが、極めて残念なことであるが、前後の道は畑や住宅地に変わってしまい、「塚」だけが残っているという珍しい一里塚になってしまった。


 一里塚から7〜8分歩くと、左奥に「慈眼(じげん)寺」(左)が見える。山門を入ると今まさに桜が満開。桜の向こうに本堂がかいま見えるとは風流な構図ですねー。

 山門や本堂の屋根瓦には葵の御紋が使われているが、慈眼寺は歴代将軍のお休み処だったのだそうだ。

 本堂の右手前には、江戸時代の建立だという総欅造りの「鐘楼」(右)がそびえており、左手にはやはり江戸時代建立の朱塗りの観音堂がある。


 慈眼寺の隣の神社は「黄金の湧き出づる井戸」の意味を持つという「金井神社」(左)である。この神社も江戸末期の建立といわれているが、「黄金が湧き出る井戸」とは羨ましいね。

  

 街道に戻ると、金井神社のちょっと先に屋敷門が見える。この門は「小金井宿本陣跡の門」(右)であるが、表示等が無いので、うっかりすると通り過ぎてしまいそうだ。  

 本陣跡門の対面の建物は「旧呉服屋の蔵造り店舗」(右)であるが、珍しく漆喰塗りの白壁である。この辺りは大谷石を積み上げた蔵が多いが、やはり白壁の蔵がいいねー。
  

 このまま国道4号の右側を数分歩き、交差点を右に入ると「蓮行寺」(右)に行き当たる。徳川将軍が日光参詣の際には宇都宮城の城主が当蓮行寺で出迎えを行ったのだとか。

 蓮行寺を出た後はしばらく国道4号を歩き、再び旧日光街道に入るのだが、入り口が分かりずらい。左側のパチンコ店の駐車場を横切って旧街道に入って行く。

 左の写真の装置は何だか分かりますか。昔の脱穀機なんですよ。懐かしいですね。どういう分けか道端に捨てられていたのです。

 脱穀機の先には「畑の間を旧日光街道」(右)が北上している。なんと、雲雀のさえずりが聞こえるが、それも1羽ならず向こうの方でも。のどかだね〜。

前の宿場新田宿へ    次の宿場石橋宿へ    表紙へ戻る