![]() ![]() ![]() |
|

日本の歴史を決めた「小山評定」が行われた場所を見落としてしまった。残念。
| 小山宿は小山城の城下町として発展し、日光街道の中では比較的規模の大きな宿場であった。また、石田三成挙兵を知った徳川家康が、本多忠勝・福島正則・山内一豊ら諸将を集めて軍議を開いた「小山評定」が行われた場所でもある。 |
|---|
平成19年3月27日
![]()
日光街道は栗宮三叉路で国道4号と別れ直進していくのだが、真っ直ぐな道がはるかかなたまで続いており、道路標識には「小山市街 3km」とある。 15分ほど歩いただろうか、立派な「長屋門」(左)がある。特に云われがあるという門ではないが写真に撮りたくなった。 広い交差点の向こう、「街道沿いに巨木」(右)がそびえている。高い建物が無いこの辺では存在感がある巨木だが、この木にも云われは無い。 が、これも写真に撮りたくなった。 |
|---|
![]()
この先は黙々と歩いて小山宿へ。なんとなく旧宿場町の雰囲気がある町並みに入ると「須加神社」の鳥居があり、その先に「須加神社参道」(左)が続く。
猫がいると写真に撮りたくなってしまうんだなー。 |
|---|
![]()
行在所跡碑の奥に見える立派な玄関は「脇本陣の玄関」(左)である。残念ながら塀で囲われているので全容は見えないが、素晴らしいの一言につきる。 |
|---|
行在所跡碑の前に「小山宿通り」(左下)と記された標柱が立っているが、この辺りは昔の面影がほとんど感じられない。
![]()
少し歩くが小山市役所まで行くと「小山評定跡碑」(右)と「由来碑」(右)を見ることができる。 上杉景勝を討つべく小山まで来た徳川家康であったが、石田三成の挙兵を知り急遽、諸将を集め軍義。これが世にいう「小山評定」である。家康はここでの諸将の進言を元に関ヶ原の合戦に臨んだのであった。 ところで、実際に評定が行われた場所はもう少し先の丘の上。 跡碑を見て満足してしまい、評定が行われた場所を見落としてしまったのだ。残念! |
|---|
![]()
街道に戻り、小山駅前交差点から10分ほど歩くと「興法寺」という寺院があるが、境内で石造りの「十三層塔」(左)が見られる。 この塔は、なんと浅草の浅草寺に数百年間安置されていたのだという。ゆえあって古河市の民家に移されたが、寄進によりこの地へ安置されたのだとか。 興法寺の少し先に古民家風の造りをした和菓子店があるが、ここは元禄11年(1698)創業の「蛸屋総本店」(右)。たこ壺最中がお勧めだそうだ。(店名の由来はこちら) |
|---|
蛸屋総本店の先は、またまた真っ直ぐな道が続く。かれこれ20分以上歩いただろうか。
![]()
交差点先の歯科医院の脇道を入ると墓地があるが、その一角に「地蔵菩薩道標」(左)がある。 この台座部分の道標に「左日光海道」と刻まれているのが珍しい。元々主要道路は「海道」が使われていたが亨保元年(1716)に「道中」に改められている。 街道の彼方に飛び抜けて背の高い木が3本見える。気になっていたが、「日枝神社のケヤキと杉」(右)であった。樹高32mもある巨木で、樹齢は400年だとか。 |
|---|