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間々田宿へ向かう途中に「乙女」という地名が有ったが、「おばん」でなくてよかったよ。
| 間々田宿は日光街道11番目の宿場で、日本橋と日光の中間点に位置していた。街道は現在の国道4号とほぼ重なっているが、ここも野木宿などと同様に、古民家が多少残るものの往時の面影はほとんど見られない。 |
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平成19年3月20日
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国道4号を北上すると、歩道橋に「小山市乙女」(左)と記されている。この辺は乙女という地名のようだが、響きがいいねー。「おばん」でなくてよかったよ。 間々田駅入り口交差点を左に曲がった奥に「乙女のお不動様」があるらしい。興味津々、見に行く事に。おばん不動だったら怒るよ。 数分歩いた先の「泉龍寺」入り口で、見ましたよ、「乙女不動」(右)を。でもなー、乙女と言うにはちょっとなー。 |
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説明書きによると「この近くにあった下野国分寺や下野薬師寺の屋根瓦を焼いた窯跡」とある。 国分寺の屋根瓦というから奈良時代のこと。 そんな昔に、この場所で瓦職人が腕によりを掛けて |
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ここから3月27日
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街道に戻り、しばらく歩くと消防署先の交差点から10mほどの所に「逢いの榎碑」(左)が建てられている。「逢いの榎」とはなかなか粋な。「縁結びの木」として信仰を集めた時期も有ったようですよ。 本当は「間(あい)の榎」といい、例幣使が江戸と日光の中間に、目印として植えたのだが、いつの頃か「逢いの榎」に。 数分先の左側奥に「龍昌寺赤門」(右)が見える。この寺院は徳川家光の御棺を日光へ移送する際、仮安置したという云われがあり、本堂横に石碑が建てられている。 |
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龍昌寺の先、数分のところに「間々田宿問屋場跡」(左)がある。といっても今は駐車場となっており、説明板が建てられているのみだが。 その先100mほどの、やはり左側が「本陣跡」(右)で、ここも本陣が有ったことを記した説明板が建てられているのみだ。この説明板には規模などの記述は無い。 資料によると、間々田宿には本陣・脇本陣が1軒づつあり、旅籠は50軒ほどだったようだ。 |
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街道から5分ほど左に入った奥の「間々田八幡宮」(左)で可愛らしい「狛犬」(左)を発見。左側の狛犬は微笑んでいるように見えるでしょ。 間々田八幡宮の境内に「瓢箪池」と呼ばれる池があるが、池畔に、 |
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街道に戻り「千駄塚」まで来たら、また寄り道を。 街道から左へ100mほど入った所で「千駄塚古墳」(左)を見ることができる。直径70mほどの小山だが、なんと、いまだに発掘調査が行われていないのだそうだ。 再び街道をてくてくと10分ほど歩くと、交差点向こうに明治5年創業という「西堀酒造」(右)の酒蔵が見える。正面に回ると、「杉玉」(酒林)が下がっていますよ。造り酒屋には杉玉が似合う。 |
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次の小山宿までは約一里、小一時間の街道歩きだ。地図を見ると、国道4号と分かれた後は真っ直ぐな道が小山宿まで続く。退屈しそう。