日光街道道中記
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(10)野木宿

野木神社の池畔に二輪草が満開でした。可憐な花です。

 野木宿は、古河宿から近いことと泥湿地で人家が集まらなかったこと、などから小さな宿場であった。現在の国道4号沿いが宿場町であったが、当時の面影はほとんど残っていない。

平成19年3月20日

 塩滑地蔵から5〜6分歩くと栃木県に入り、国道4号に合流するが、合流のちょっと手前に「野木神社」(左)の参道が彼方まで続いている。

 少々歩くが訪ねてみた。仁徳天皇の時代に創建されたというから1600年以上の歴史がある神社である。

 神社境内に「芭蕉句碑」(右)があった。
 「一疋の はね馬もなし 河千鳥    芭蕉墳」 
傍らの説明板に「芭蕉句碑」とあるが、句集には見つからない。「墳」の文字も気になる。しばらく悩みそう。

 野木神社の池畔で可愛らしい花を見つけた。一本の茎に二輪ずつ花をつける「二輪草」(左)の群落がいままさに満開。可憐な花である。

 街道に戻り先へ歩いても、昔宿場だったという感じは全く無い。数分歩くと「野木宿案内板」(右)が建てられている。

 案内板によると「野木神社周辺に居住していた人達が街道筋へ出て町並みを形成。本陣1,脇本陣1,旅籠25,人口527人の小さな宿場だった」とある。

 甲州街道では廿三夜塔をよく見たが、この辺りでは「十九夜塔」(左)があちこちで見られる。

 十九夜様(じゅうくやさま)と呼ばれる如意輪観音のことで、安産の神様と言われ、女性の信仰を集めていたそうだ。

 交差点向こうの民家生け垣の中に「一里塚跡」(右)と記された小さな看板がある。ここは江戸から17番目の「野木一里塚」であるが、ずいぶん控えめな表示だ。

 野木宿からは国道4号をトラックと一緒に1時間、やっと「法音寺」に到着。東海道の白須賀宿から二川宿までを思い出してしまった。

 法音寺の境内にも「芭蕉句碑」(左)がある。
 「道ばたの むくげは馬に 喰われけり   芭蕉翁」
 この句は東海道・金谷宿で目にしたが、金谷の句碑では「道のべの ・・・」で始まっている。

 ところで、芭蕉さんのお姿を拝見しましたよ。 傍らの説明板の中で(右)。ちょっとお疲れの様子。

 法音寺前の交差点を挟んだ対面の「友沼八幡神社」(左)は、今はごく普通の神社であるが、江戸時代は東照宮に社参する将軍の休憩所となった格式の高い神社であった。

 15分ほど国道を歩いた左側の「若宮八幡宮」(左)境内では「大日如来座像」(右)を見ることができる。神社に仏像、よいではないか。江戸時代は普通のことだったのだから。

 建立当初は屋外に安置されていたので「濡れ仏様」と呼ばれていたそうだが、今は屋根がつきました。

 この後は再び国道4号をテクテクと。

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