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甲州街道道中記

 

(8) 府中宿     大國魂神社で旅の安全を祈願してきました。

 府中は、かつては武蔵国(現埼玉南部・東京・川崎・横浜)の国府が置かれた場所で政治・文化の中心地であったが、鎌倉幕府の崩壊で衰退。江戸時代に入ると再び甲州街道の宿場町として、あるいは多摩地区の商業の中心地として賑わいを取り戻した宿場である。

 府中宿を語る際に、その中心的存在の「大國魂神社」(左)を語らない分けにはいかない。
景行天皇41年(111)の創祀と伝えられる都内屈指の古社である。御祭神は「大國魂大神
(おおくにたまのおおかみ)」で、出雲の「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と同一の神とされるそうだ。

 ケヤキに囲まれた参道を進むと重厚な本殿に到着する。この本殿は寛文7年(1667)に4代将軍綱吉によって再建されたもの。 今回の旅の安全を念入りに祈願しました。

平成18年9月5日

 布田五宿を通り「飛田給駅入口」の交差点を過ぎると左側の「飛田給薬師堂」の傍らに「行人塚」(左)がある。仙台の松前意仙はこの地で薬師如来像を彫ったのち自ら墓穴を掘り、入定したのだという。

 この辺りから街道の両側に「蔵」が目立つようになる。また緑豊かな庭を持つ昔からの民家が続き「旧街道を歩いている」そんな雰囲気が味わえる。


 途中で「常夜灯」を発見。嘉永元年(1848)と刻まれている。


 旧街道の雰囲気を楽しみながら「車返団地入口交差点」までくると「観音院」の駐車場の奥で「六体のお地蔵様」(左)が微笑んでいる。表彰台に乗っているような並び方が愉快だ。


 観音院横の交差点際に、東海道を歩いている時よく見かけた「秋葉常夜灯」(右)が有った。秋葉山のご威光がここまであったとは驚き。建立年を見ると嘉永六年(1853)とある。


 秋葉常夜灯から10分ほど歩いた先の「不動尊前交差点」向こう側の「染谷不動」(左)には「国宝阿弥陀如来立像」が祀られているそうだ。残念ながら扉が固く閉ざされ、国宝のお顔を拝むことはできない。
 

 数分歩き「常久八幡宮」の前を左に曲がると「品川街道」にぶつかるが、この道は江戸初期の甲州古道。右に曲がると、七番目の「常久一里塚」が有った場所に「一里塚跡碑」(右)と説明板が設置されている。 
  

 甲州街道に戻り、京王線東府中の踏切を越え、「府八幡宮」の前を通って30分近く歩くと道幅が広くなり、都会的な賑やかな通りになる。

 ほどなく「大國魂神社」(左)に到着。この神社は冒頭に記したように、府中を代表する神社で平日でも参拝客が絶えない。5月の例祭、9月の秋季際(くり祭り)は大変な賑わいとなるそうだ。
 

 神社前から京王線府中駅に向かう道は神社の参道で「馬場大門欅並木」(右)と呼ばれ国指定の天然記念物となっている。古くは源頼義・義家父子が欅を寄進し、徳川家康も馬場と一緒に欅を寄進している。

 欅並木の途中に、「八幡太郎義家」(左)がすっくと立っている。

 源頼義・義家父子が奥州平定の戦勝を祈願して寄進した欅が、歴代受け継がれ今日に至っていることを伝えるために建立しのだとか。
千年近く後に銅像とは、義家もなんとなくこそばゆいのでは。

 欅並木の南端に「万葉歌碑」(右)がありました。
「武蔵野の 草は諸向き かもかくも 君がまにまに 吾は寄りにしを」
「草が風になびくように、私は貴方にひたすら心を寄せたのに」 片思いですかな。

 大國魂神社の次の交差点向こう左側に、復元された「高札場」(左)が見える。ここは甲州街道と鎌倉街道(府中街道の一部)が交わる場所であったため「札の辻」と呼ばれ庶民に親しまれた場所だそうだ。

 高札場の対面には萬延2年(1861)に建てられた という「中久本店」(右)の建物がある。一階は野口酒造の地酒販売所、二階は女性の好みそうな蔵造りの喫茶店、その名もずばり喫茶「蔵」

 隣には「問屋場」があり府中の中心地として栄えた場所でもある。
  

 7〜8分歩いた所の「高安寺山門」(左)はすごい。大きさもさることながら、こちら側に「阿吽の仁王像」、向こう側は「奪衣婆像と地蔵尊像」。「仁王」はともかく、「奪衣婆」に衣服を剥がれるのはまっぴらご免。

 この地は藤原秀郷の館跡と言われ、後に見性寺が建立されたが、足利尊氏が全国に安国寺を建立した際「高安寺」として再建している。

 話は遡って見性寺の時代、兄頼朝の怒りに触れ鎌倉入り出来ない義経、この寺で赦免祈願の写経をしたという。そのとき硯の水を汲み取った井戸が「弁慶 硯の水井」(右)。墓地の奥、秀郷稲荷の横に有る。

 奪衣婆に衣服を剥がれることなく街道に戻ったら「弁慶坂」を下り「弁慶橋跡」「棒屋の坂」を通り、京王線の踏切を越えて行く。

 しばらく歩くと「内藤家の冠木門」(左)を見ることができる。内藤家は地元の名主で、三千坪の敷地に 二百坪の家屋という想像を絶するお屋敷。これだけ立派な冠木門を見るのは初めてである。

 まもなく国道20号と合流するが、合流点の三角地帯に「本宿説明碑」(右)が建てられている。ここは甲州古道時代の宿場だった場所である。

 国道20号に合流したら本宿交番前の交差点を左に曲がり、南武線の踏切を越え、「中坂」を下り中坂橋を渡るとNEC府中工場前に出る。 

 守衛所で一里塚を見学したい旨告げると8番目の「本宿一里塚跡」(左)に案内してくれる。この一里塚は甲州古街道沿いにあったもので、旧甲州街道からは離れている。樹が植えられ碑も建てられて大事にされているようだ。

 旧甲州街道に戻り、本宿交番を左に曲がると、ここにも「秋葉常夜灯」(右)があった。 度重なる火災に苦しんだ地元民は秋葉神社で「火伏せ」の祈祷を行い常夜灯を設けたのだそうだ。時は寛政4年(1792)である。

 この先しばらくは国道20号を歩き、谷保天満宮を通って多摩川を渡り日野宿までの歩きとなる。

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