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(41) 教来石宿 甲斐路最後の橋「国界橋」が目の前に。
平成19年1月10日
| 教来石(きょうらいし)宿は、宿駅業務を行うというよりは甲斐・信濃国境の防備が主の宿場で、山口関所が設けられていた。 地名となった教来石(きょうらいし)は日本武尊が座った石に由来していると伝えられている。 「経来石(へてこいし)」 の「経」が「教」に誤記されて 「教来石(きょうらいし)」 になったというこどだが。 |
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この地には平安時代から続く素晴らしい松林が有ったそうだ。が、残念なことに昭和10年代に伐採されてしまったのだとか。 ひょっとして松根油となって零戦の燃料になったのでは。 隣には後醍醐天皇の皇子「宗良親王歌碑」(左)が建てられている。 |
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20分ほど歩き、ちょっと広い道路を横断した先に「リサイクルショップ」(右)の看板の店がある。 リサイクルショップというより、骨董店といった方が相応しい品揃え。ちょっと魅力のある店だったなー。 |
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| このあと坂道を上り、流川橋を渡ると下教来石の町並みとなる。道なりに歩き、突き当たりを左に曲がると国道20号に合流するが、この辺りが教来石宿の中心地であったようだ。 |
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ここから1月16日
| 地名の由来となった石とはどんな石なのだろうか、興味津々。 ということで国道20号下教来石信号のちょっと先を左に曲がり、道なりに坂を上って行くと、お墓の先の畑の中に「教来石」(左下)が有りました。 |
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日本武尊が座ったという石は、かなり大きい。飛び乗って座ったという感じだ。上に五体の石仏が乗せられている。 国道に戻り、100mほど歩くと、左側の広場の一角に「明治天皇小休止跡碑」(右)が建てられている。この場所は、今は広場になっているが、かつては本陣の建物が建てられていた場所だ。 |
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また神社横の街道から見える眼下の景色も素晴らしい。 街道が高いところにあるので一面に広がる田園が俯瞰できる。昔の旅人もこの景色を見ながら旅を続けたのだろう。 |
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この素晴らしい景色を眺めたのは旅人だけではなかった。 明治天皇も、この高台から眼下の田植え風景を特とご覧になったようだ。土手の上に「明治天皇御田植御通覧の跡碑」(左)が建てられている。 さらに先へ歩くと、「御膳水跡」(右)と記されたパネルが建てられている。 湧水をお飲みになられた天皇が「これは旨い!」とは言わなかっただろうが、「お誉めに与りました」と記されている。 |
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地蔵菩薩を見たら、すぐに右側の旧甲州街道に入って行くが、しばらく歩くと左手奥の高台に「山口素堂生誕の地碑」(右)が建てられている。 |
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坂を下った右側に見えるのが、「山口関所跡碑」(右)。ここは甲斐国の信州口を見張った、国境の口留め番所があった場所である。 道路左側に番所の建物が有ったが、今は蔵1棟を残して更地になっており、傍らに「西番所跡」と刻まれた石碑が建てられている。 |
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「目には青葉 山ほとゝぎす 初かつお 」 ここでも素堂の句。 国道20号はすぐ傍の「新国界橋」を渡って行くが、旧甲州街道はコンビニ横の旧道に入って行く。山陰のため先日降った雪が全く解けていない(右写真)。突き当たりを右に曲がり「国界橋」を渡るといよいよ信濃である。 |
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| 長かった甲斐路も終わり、この先は信濃路の旅となる。 |
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