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甲州街道道中記

 

 布田5宿      新撰組局長の近藤勇が渋い顔で座っていましたよ。
   (3)国領宿  (4)下布田宿   (5)上布田宿   (6)下石原宿   (7)上石原宿

 布田5宿は、国領から上石原までの3kmの間に9軒の旅籠だけという小さな宿場で、本陣・脇本陣は無かった。 しかし、古物や日用雑貨を売る「市」が栄え、中でも毎月25日に行われる「布田天神社」の縁日は大変な賑わいとなっていたという。この縁日は今でも続いている。

平成18年8月22日(一部8月25日)

 甲州街道は先ほどからずっとケヤキ並木が続いており、歩道が日陰になるので強い日差しもあまり苦にならない。

 仙川から坂を下り、つつじケ丘、菊野台を通って歩き疲れたころ、「野川」(左)の清流を見ることができる。国分寺台地からの湧水を集めて流れる野川は、この辺りでもまだまだ「清流」と言えるきれいな川だ。

 野川から数分歩くと旧甲州街道は「国道20号と別れ」(右)左へと曲がって行く。というよりは、元々は真っ直ぐだったはず。

 国道20号から旧甲州街道に入ると3番目の宿場 「国領宿の辺り」(左)となるが、今は高層マンションやビルが建ったりしており、昔の面影を探すことはかなり難しい。

 それでも、街道が大きく右にカーブする辺りの左側に懐かしいノボリが立っているお店が有りました。(右写真) 子供のころ「力王地下足袋」という看板をよく見かけたが今でも「力王」健在なり。

このお店の手前に庚申さまが祀られている。 

 5〜6分歩くと「下布田宿の辺り」(左)となるがこの周辺も昔の面影は無い。お花屋さんの店先があまりに綺麗だったので1枚。

 お花屋さんの斜め向こう側に「円福寺」というお寺があるが、門を入った左側に「六地蔵」(右)が鎮座している。東海道の由比宿で見た「六地蔵」は白い涎掛けをしていたが、お地蔵様にはやはり赤が似合う。

 さらに数分先に地元の人に調布のお不動様と親しまれている「調布不動尊・常性寺」がある。  

 繁華街まで来ると「上布田商栄会」という看板が出ているが、この辺が「上布田宿の辺り」(左)となる。しかし、どこに旅籠が有ったのかはさっぱり分からないし町並みにも昔の面影は全く見あたらない。

 それでも一歩裏に入ると江戸時代が感じられる。

 左側の路地奥に「連慶寺」という寺院がある。 この寺は三代将軍家光から御朱印地が下賜され、御朱印寺として赤門の設立が許されたそうだ。その「赤門」(右)の冠木門部分が山門横に保存されている。

 布田まで来て「布田天神社」(左)を素通りするわけにはいかない。

 「調布駅北口交差点」手前の道を右に入り5〜6分歩くと行かれる。この神社は延長5年(927)に作られた延喜式神明帳に記されていたということであるので、1000年以上の歴史を持つ由緒ある神社。

 神楽殿では毎月25日に「里神楽」(右)の奉納が行われ、誰でも見学できる。これを見ないわけにはいかぬ、と25日に出直したのが右の写真で、間近で堪能させてもらった。

 布田天神の縁日には「境内に市が立ち」(左)結構な賑わいとなる。「ボロ市」あり、「骨董市」ありと楽しいものだ。「もうちょっと安かったら買うんだがなー」という値段表示。「値切ってちょうだいよ」ということなんだろうなー。
 

 街道に戻り3〜4分歩くと駐車場の金網の中に日本橋から6里の「小島一里塚跡碑」(右)がある。「金網の中」というのが無粋だなー。ちょっと気を利かせてもらえると良かったんだが。勝手な戯言かな。
  

 6番目の宿場「下石原宿の辺り」(左)まで来ると人通りも少なくなり、少し静かな町並みに変わってくる。電柱の表示が「旧甲州街道 下石原」となっている。江戸時代のままだ。このままか変えないでくれよ。



 下石原宿の「常演寺」門前に嘉永3年(1850)と刻まれた「常夜灯」(右)がある。150年ほど前の作なので「とても古い」というほどのものではないが、スラッとした姿は常夜灯の中でも美形と言えそうだ。 
  


 街道が右へカーブする辺りで「源正寺六地蔵」(左)が旅人に微笑みかけている。六道輪廻の思想から生まれた六地蔵だそうだが、難しいことはさておいて、六体ものお地蔵さんに見守られていれば安心だ。
 

 この先で右からの道と合流。 1〜2分歩くと中央高速の下を通るようになるが、この周辺が7番目の宿場「上石原宿の辺り」(右)となる。高速道路の先の「黒板塀のお屋敷」の立派なこと。圧倒される。

 高速道路の手前に「西光寺」というお寺があるが、山門左に新選組局長の「近藤勇」(左)がしぶーい顔をして座っている。 近藤勇は上石原村の宮川家3男として誕生。京都に上り新選組を結成し洛中の治安維持に当たるが、後に甲陽鎮撫隊を結成し甲府に向かっている。そのおり、ここ西光寺に立ち寄り休息をしたのだとか。

 近藤勇の生家は上石原村ということだが、調布飛行場の向こう側になるのでちょっと遠い。いずれ機会を作って訪れることに。

 布田五宿は、事前の下調べでは「見所が少ない宿場跡」というイメージであった。歩いてみると、どうしてどうして結構江戸時代の息吹に触れることができる。

 布田5宿を過ぎると次に目指すは「府中宿」。高札場が有り、一里塚も現存しているそうだ。

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