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甲州街道道中記

 

(30)白野宿   古老の昔話に時間を忘れるひとときを過ごしました。

平成18年11月1日

 白野宿は、次の阿弥陀海道宿とその次の黒野田宿の3宿で継ぎ立てを分担するという小さな宿場であった。国道20号から右に入り5町(500m強)ほどの短い距離で再び国道に合流する。特別に変わった町並みではないが落ち着いた静かなたたずまいの旧宿である。

 怖い思いの国道20号から「白野宿への入り口」(左)が見えたときはホットした。旧街道は山を迂回してくるので、もう少し先から宿場に入っている。

 右側の道に入ると柿がたわわに実っている。近づいてよく見ると、どうも渋柿らしい。渋柿が熟して柔らかくなると旨いんだよ。

 すぐに「白野下宿」のバス停があるが、白野宿には「上・中・下の3カ所のバス停」(右)があった。

 国道から一歩脇道に入った「白野宿の町並み」(左)はとても静かで「ひなびた街道」という雰囲気がよく出ている。

 どなたかの紀行文に「白野宿が一番ほっとする町並みだ」と記されていたが本当にそうだ。出会う人も親切なんだなー。

 宿場の中ほどでどっしり構えた大きな家は「旅籠よろず屋跡」(右)である。江戸時代の建物ということではないが、宿場内では存在感のある大きな建物だ。

 白野宿には旧宿の案内表示等は一切無い。「良い雰囲気の町並みだなー」で通り過ぎる所であったが、古老に声を掛けたところ昔のことを話してくれたんです。よろず屋さんのことや天野さん、今泉さんのこと。さらには明治40年の山津波のことなど色々と。

 古老の話によると、旅籠よろず屋から数分歩いた「宝林寺」参道右側のお宅が「天野脇本陣跡」(左)で、20年ほど前までは商売をしており建物もあったそうだが今は普通の民家に替わっている。

 一軒おいた先が「今泉本陣」(右)があった場所だそうだ。またちょっと先の「バス停・白野上宿」先に旅籠が有ったが明治40年の山津波で流されてしまったのだそうだ。

 ぼくとつとした話しぶりに思わず時間を忘れて聞き入ってしまったのだった。

 白野宿を出て国道に合流後、数分で再び右側の旧道に入って行く。

 JR中央線のガード下を通って左に曲がり、緩い坂道を上って行くと、東海道を歩いているときは目にしなかった三界の万霊を祀るという「萬霊塔」(左)を見ることが出来る。

 萬霊塔から5〜6分歩くと「稲村神社」があるが、ここの境内に面白い道祖神があった。名付けて「合体道祖神」(右)。犬目宿の「陰陽道祖神」といい、この「合体道祖神」といい、甲斐人はおおらかですなー。

 稲村神社の前に石塔群があるがここは「親鸞上人念仏塚」(左)と言われている場所。この塚には次のような伝説がある。

 親鸞上人が甲州萬幅寺参詣の帰途、この地の地頭小俣左衛門尉宅に泊まったおり、「葦ケ池」の毒蛇済度を懇請される。上人は21日間小石に6字の名号を墨書し池中に投入するや霊は東南の空高く消え去り・・・とある。

 葦ケ池の毒蛇は実は小俣左衛門尉の娘「よし」であった。この地に修行に訪れた若い僧に恋せしが実らず池に身を投げ大蛇になったのだという。その地には「葦池の碑」(右)が建てられている。

 旧甲州街道は中央線で分断されているため、手前を左に曲がると、中央線ガードの手前左側に先ほどの「葦池の碑」がある。この先はガード下を通って国道20号に合流し「阿弥陀海道宿」を目指してテクテク。  

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