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甲州街道道中記

 

(29) 中初狩宿  横浜の赤レンガ倉庫?そんな蔵が有りました。

平成18年11月1日

 下初狩宿から八町ほどしか離れていないという近さであったが、本陣・脇本陣を備え、旅籠は下初狩宿より多く25軒ほどであった。

 初狩駅前交差点を過ぎ、宮川橋を渡ると「中初狩宿」となる。

 橋から数分先の初狩小学校前に立つ石碑が「芭蕉句碑」(左)。隣に立つ50センチほどの石のかけらが芭蕉塚である。
「山賊乃 願とつる 葎哉     芭蕉」
(やまがつの おとがいとずる むぐらかな)

 さらに数分歩いた先の右側に見える大きな建物の場所が「中初狩本陣跡」(右)で建物の左側には本陣特有の屋敷門を見ることが出来る。(ただし建物も門も当時の物ではない)

 本陣跡の左側に「明治天皇御小休遺跡碑」(左)が建てられており、ここが本陣だったことが分かる。「脇本陣」は斜め向かい側にあったのだが今はその痕跡は無い。

 道なりに進むと「唐沢橋」の手前に「首塚」と記された標識がある。標識に従って中央線のガードをくぐり山の中に入って行くが首塚が見つからない。

 代わりに見つかったのが「小山田左兵衛尉信茂顕彰碑」(右)。信茂は武田勝頼に反旗を翻し勝頼を自害に追い込んだ人物なのだとか。


 街道に戻り唐沢橋を渡ると左側の一段高い石垣の上に大量の「石塔」(左)がある。石地蔵や秋葉常夜灯なども含まれているので、あちこちから集められたものではないかと想像する。
 

 石塔群の向かい側に、横浜の赤レンガ倉庫群を思わせるような「レンガ造りの蔵」(右)があり人目を引く。「白壁の蔵」を見慣れた目に「赤レンガの蔵」は新鮮というか違和感というか、なんとも。


 この先は「国道20号」(左)をテクテクと歩いてゆくのだが、ずーっと上りだった道が珍しくこの辺りだけ平坦地。ほっとするね。

 平坦な道路の先に「船石橋」があり、橋を渡ると左側に「船石道標」(右)と「船石由来碑」(右)が建てられている。由来碑には縷々記されているがなんとも読みづらい。内容はカットだ。


 船石橋からさらに国道を進むと、中央線高架の手前右側の民家と工場の間に、山へ登っていく「旧甲州街道」(左)が見える。この道を登り、山を迂回していくと「白野宿」へ行かれるのだが、今は道が途中で無くなっている。

 しかたがないので「国道20号」(右)を歩かなければならないが、歩道が無いのだ。右は高い崖、左のガードレール下は笹子川の深い谷。しかも高架下から先は右へカーブしている。ここは怖かった。

 大型トラック同士がすれ違わないことを念じた数分間だった。

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