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(1)内藤新宿 閻魔大王とにらめっこをしましたよ!
| 甲州街道の最初の宿駅は高井戸であったが遠すぎて不便であるため、元禄11年(1698)に新しい宿駅を開設。高遠藩内藤家の敷地内に開設されたので内藤新宿と呼ばれていた。 江戸四宿の一つとして発展し、さらには歓楽地としても繁栄を極めている。 国道1号と分かれて三宅坂を上がると、頂上付近の右奥に「半蔵門」(左下)が見える。ここは大手門の丁度反対側。 |
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平成18年8月1日
![]() 「半蔵門」の名前は伊賀忍者服部半蔵父子が警備に当たったことから付けられたもの。門内が「宮中三殿」の場所であることから物々しい警備が行われており近づくことが出来ない。甲州街道は半蔵門前で左に曲がり、その後真っ直ぐ西へ行く。 途中気になる坂がある。麹町4丁目の手前を左に曲がり、「清水谷坂」を下って、次の上り坂が「紀尾井坂」(右)という名前の坂である。周辺に紀伊・尾張・彦根(井伊)3藩の屋敷があったことに由来するそうだ。 |
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街道に戻り、次に目指すは江戸36見附の一つ「四谷見附」。 真っ直ぐな道が突然右に曲がってしまうが、ここが四谷見附である。
コメント:現在の甲州街道(国道20号)は真っ直ぐな道路である。
当時は街道を右に曲がり、見附で左に曲がって「喰い違い橋」と言われた橋を渡って左に曲がった後、再び右に曲がる道が甲州街道であった。つまり街道がコの字に曲がっていたことになる。理由は防衛上。 四谷見附から数分歩いた先を左に入ると突き当たりに「西念寺」という寺があるが、ここに「服部半蔵の墓」(右)がある。また、その近くに服部半蔵が建立した「家康の長男・信康」の供養塔もある。 |
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| ところで、四谷と言えば「四谷怪談・於岩さん」。四谷に来て「於岩稲荷」を素通りするわけにはゆくまい。 四谷3丁目交差点を左に曲がり、四谷警察署の先の路地を左に入る。 「於岩稲荷田宮神社」(左下)と「於岩稲荷陽運寺」(右下)が道路を挟んで斜めに対面している。 |
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江戸時代初期、お岩さんはお稲荷さんを信仰して傾きかけた家を再興したという貞淑な妻で、庶民に人気が高かった。200年後も高い人気だったのでこの人気を借りて仕立てあげたのが「四谷怪談」である。 原作者の鶴屋南北は悪いヤツなんですよ。ヒットすればなんでも有りだとばかりに、庶民に人気があった お岩さんと、おどろおどろしい事件をミックスさせて「四谷怪談」を作り上げてしまったのだった。 |
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大木戸の内側が江戸の街、さらに見付の内側が江戸城内である。 大木戸跡碑先の「新宿御苑大木戸門」まで歩くと植え込みの中に「内藤新宿開設300年記念碑」(右)が建てられており、「元禄11年(1698)に開設されるも、享保3年(1718)に廃止、54年後に復活」と記されている。 |
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入り口を入ると右側に「金銅大地蔵尊」(左)が鎮座している。品川宿の品川寺(ほんせんじ)にもあった江戸六地蔵の一つ。 お地蔵さんと言えばまん丸頭がトレードマークだが、このお地蔵さんは菅笠を被っている。 右側の閻魔堂の中では「閻魔様」(右)がギョロ目で睨みを効かせている。金網越しに「にらめっこ」をしてみたが十王の頂点閻魔様には負けるわな。左側には「奪衣婆像」があるが金網で見づらい。 |
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追分けで左に曲がり、次の交差点を右に曲がる道が甲州街道であるが真っ直ぐ行くと、江戸時代から「時の鐘」(左)を鳴らし続けている「天龍寺」がある。内藤新宿で夜通し遊ぶ人々を追い出すために鳴らしたのだとか。 新宿というところは昔も今も変わりませんな。 |
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ここから8月9日
新宿駅南口前を通って初台交差点まで歩き、オペラシティー前を右折。向かった先は「荘巌寺(しょうごんじ)」。
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山門から墓地へ続く道の左側に「芭蕉句碑」(左)が有りました。 国道20号を30分程歩くと「牛ケ窪地蔵尊」(右))の変わった建物に出会う。 この地は極悪人の刑場であった。或る年、悪疫病が発生したがこれは罪人のたたりだと伝えられ、これを鎮めるために建立されたのがお地蔵様。約260年前の話である。 ここには「道供養碑」もある。 |
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国道20号を歩道橋で右側に渡り、十数m歩いた先の笹塚交番横に「笹塚跡説明板」(左)が建てられている。説明書きによると「街道両側に直径1mほどの塚があり、笹が生い茂っていたので笹塚と呼ばれていた。この塚が一里塚らしい」と記されている。 やっと一里塚が見えてきた。これからも一里塚に出会うことができるだろうか。 |
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