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甲州街道道中記

  

(16) 関野宿  この宿場も大火でほとんどが焼失してしまったのだそうだ。

平成18年9月29日

 関野宿も本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒、街道沿いの戸数わずか25戸という小さな小さな宿場であった。今の関野は、かつて宿場町であったことを忘れてしまったかのような静かなたたずまいの町である。 ただし国道20号を大型トレーラーが行き交い騒音だけは凄い。

 小猿橋跡から国道20号を15分ほど歩くと大木が見える。

 無粋な看板が目障りだが、その右側の木は樹齢300年の「エノキ」(左)。エノキ と言えば一里塚に植えられた樹木。ということは、ここに一里塚があったのだろうか。あったとすれば「藤野一里塚」であるが。

 エノキから数分先の交差点で、右から下ってくる道が国道に合流する。この道が八王子の「追分け」で分かれた「陣馬街道」(右)で、和田峠を越えてここに到着。分かれた道に再び会うことができた。
コメント:この道は途中で分岐しており上野原へ出ることもできる。

 藤野駅の先から左へ下る細い道が旧甲州街道である。が、そのまま国道20号を歩いてしまい、気がついた時は大分先まで来てしまったようだ。
しょうがない、このまま進むか。JR中央線の上の陸橋を渡り5〜6分ほど歩くと「関野宿」に入る。

 ここで見落としそうなのが「関野本陣跡説明板」(左)。生け垣の陰、しかも甲府方向を向いているとは意地悪だなー。

 説明板によると、明治21年とその後の大火で本陣及び宿場の面影を残す建物はほとんど焼失してしまったのだそうだ。火事は恐ろしいことだ。

 数分先の「増珠寺」(右)参道脇の庚申塔に「関野宿講中」(右)と刻まれているのが唯一往時の面影だろうか。

 増珠寺の先も国道20号をしばらく歩き「名倉入口」の信号が見えたらその横を「左へ下る道」(左)が旧甲州街道である。

 道なりに歩き「境川」に架かる「境沢橋」(右)を渡ると「相模国」から「甲斐国」に入り、いよいよ甲斐路の旅となる。

 数分歩くと「桂川」に架かる 「境川橋」の前に出る。 桂川もかつての国境で、境川橋を渡ると相模国に戻ってしまうのでこの橋は渡らない。

 旧甲州街道は境川橋を渡らず「Uターン」(左)して坂を登って行く。写真では右の道を歩いて来て、Uターンして左側の坂を登って行くことになる。説明がちょっと冗長になったかな。

 坂を登ると旅人を厳しく監視した「諏訪関所」が待っているが、なんと関所に通じるこの坂を「乙女坂」と呼んだのだそうだ。 「関所と乙女」 どうもしっくりしないなー。 「関所と山賊」の方がまだしっくりするよ。 

 後で気がついたのだが、今回の旅では何回か旧甲州街道を踏み外して国道20号を歩いている。
慎重に事前の調査を行わないといかんなーと反省しきりの旅であった。

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