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(15) 吉野宿 その昔、「小猿橋」という愛嬌ある橋があったそうですよ。
平成18年9月29日
| 吉野宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒の小さな宿場であった。ということだが、吉野宿があった藤野町(近々、相模原市に合併する)のホームページには「遊女の濃艶なる姿、数百を数え・・・・」と記されている。はてさてどうなのだろうか。 |
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坂道を下りに下って国道20号に出たら右に曲がるとすぐに「郷土資料館」(左)の建物が見える。 外観はごく普通の建物であるが、中に入ると3階建てとなっており、手斧(ちょうな)で削ったままの荒々しい柱が珍しい。ここは「ふじや」という格式の高い旅籠であったが明治の大火で焼失し、その後は養蚕を行うための建物として建てられたものが現在の資料館だそうだ。 ところで、資料館の方と話をしていると、坂を下って来る途中で旧街道を外れてしまったことが分かった。「観福寺」の左側を廻ってきたが、右側の通称「赤坂」を下る道が旧甲州街道のようだ。標識が無いので道なりに下ってしまったが、うーん、無念。 しかしあの坂まで戻るのはちょっと・・・。 |
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資料館の反対側が「吉野本陣跡」(左)で説明板が設置されている。木造5階建ての大変大きな建物であったが、明治29年の大火で土蔵以外の全てを焼失してしまったのが残念。土蔵だけは今も残されている。 説明板の後方に「聖蹟」(右)と刻まれたかなり大きな石碑が建てられている。「明治天皇・・・・」などと言わず「聖蹟」の二文字だけ。垢抜けているねー。 |
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数分歩いた先の吉野橋の袂に「小猿橋」(右)の説明板がある。かつて、大月の「猿橋」と同じ構造の小さな橋が下流側に架けられたいたそうだ。猿橋より小さいので「小猿橋 」。小猿とは可愛いじゃないですか。ところで、いつの間にか吉野宿を出てしまったが、「数百を数えた濃艶なる遊女」はどこにいってしまったのだろうか。遊女の雰囲気は微塵も感じられなかった吉野宿であった。 |
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