|
|
|---|



(48)坂下宿 江戸時代との落差が大きすぎる坂下宿でした。
| 坂下宿は鈴鹿峠の麓にあり、往時は戸数300余り、本陣3軒、脇本陣1軒と大変賑わった宿場であった。しかし、明治以降は東海道線、草津線の開通など交通形態が大きく変わったことにともない、宿場としての機能が失われ、いまでは数十軒の民家と茶畑だけの静かな山間の集落に変わってしまっている。 |
|---|
平成18年5月12日
| 関宿の「西の追分け」を出て国道1号を十数分歩き、鈴鹿川の手前で右に入ると「市瀬集落」である。 |
|---|
|
2基目の常夜灯前を進むと再び国道1号に合流。右側に渡りしばらく歩くと、細くなった鈴鹿川が国道の下を横切るが、その先、国道左側の斜面の上に「坂下市瀬一里塚跡碑」(右)が無造作に立っている。 |
|---|
|
馬子唄会館を出て、階段を登ると目の前が「小学校跡」(右)。 |
|---|
|
バス発着場のかたわらに「松屋本陣跡碑」が立っている。ちょっと歩くと「大竹屋本陣跡碑」、その先に「梅屋本陣跡碑」、さらにその先の右側に「小竹屋本陣跡碑」と本陣跡碑が続く。 |
|---|
|
大竹屋本陣が有った場所は、右写真のごとく見渡す限りの茶畑に変わっている。「本当にここが本陣・脇本陣が4軒もあった宿場なの」と聞きたくなってしまうほど江戸時代との落差が大きい。 |
|---|
ここから平成18年5月24日
| 午前中の最後のバスに乗って坂下宿に到着。今日は「鈴鹿峠」越えだ。 |
|---|
|
しばらく国道1号に沿って歩き「片山神社」と刻まれた石柱が見えたら右の道に入って行く。杉林の中を進むと「片山神社」(右)に行き着くが、今は本殿が見あたらず荒れてしまっている。 |
|---|
| 国道の高架下を上ると休憩所であるが、さらにその左脇の道を上ると、有りました「芭蕉句碑」(左下)が。 |
|---|
![]() 「ほっしんの 初(はじめ)にこゆる 鈴鹿山 芭蕉」この山道を登りながら、新境地を切り開く思いを詠ったものだそうだ。芭蕉さんは偉いナー、いつも新境地にチャレンジとは。 杉木立の中のつづら折りの道を登って行くと、あっという間に「頂上」(右)に到着。東の箱根、西の鈴鹿と言ったではないか。途中の説明板にも「険しい峠道は・・・・」と書いてあったではないか。 |
|---|
|
杉林の中を歩き「鏡岩」(右)まで行ってみた。今はごつごつした岩。伝説では「山賊が鏡岩に映る旅人を襲撃していた」ということだが。実は馬子唄会館で鏡岩にまつわる面白い伝説を聞いたのだが、うーん、思い出せない。どなたか覚えていますか。 |
|---|
| 追記:坂下宿でお会いした佐藤さんから「鈴鹿御前」という伝説をメールしてもらいました。最下段に記ましたのでご覧下さい。 |
|---|
![]() ![]() 峠道に戻り杉林の中を数分歩くと、突然開けた場所に出る。 「三重・滋賀県境」(左)で「県境石柱」(左)が建てられており次のように刻まれている。 「これより京まで十七里 界 左三重県伊勢の国 右 滋賀県近江の国」と。 |
|---|
|
この辺りの道は舗装されておらず、両側は茶畑。電柱が無ければ「江戸時代の東海道を歩いている」そんな雰囲気にもなれそうな道である。この先は緩い下り坂。馬子唄にも唄われている「あいの土山宿」は・・・・・まだまだ先だ。 |
|---|
| 鈴鹿御前伝説 | |
| 鈴鹿山に住む鬼姫は第四天魔王の娘で、実は坂上田村麿呂の妻だという。元々は、大嶽丸に嫁入りするため日本を訪れていたのだが、なんと自分を退治しにきた坂上田村麿呂に惚れてしまい、ついにその妻になってしまったのだそうだ。 | |
| 坂上田村麿呂さん、鬼姫の妖術に負けてしまったようですな。 |
| 追記:佐藤さんは私とは逆に、京都から日本橋へ向かっているとのこと。NHKの「街道てくてく旅」四日市宿の旅日記に岩本選手とツーショットで写っているのです。にこやかな顔がいいですなー。鈴鹿御前伝説ありがとう御座います。 コメント:佐藤さんが、京都から江戸へ向かう旅日記のホームページを開設しました。 ホームページはこちらです。 |
|---|