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東海道五十三次道中記
(44)石薬師宿 卯の花の匂う垣根に・・・・」の石薬師宿でした    街道地図
 四日市宿と亀山宿の間にあるため、宿泊というより休憩地として使われた小さな宿場であった。宿場の名前は宿内の「石薬師寺」にちなんで付けられたという。国文学者佐々木信綱の生まれた地、ということで信綱を前面に出した町造りが行われており、江戸時代を感じることが少ない宿場である。

 平成18年5月11日

 采女一里塚跡碑を見た後、国道を西に歩き鈴鹿市の看板が出たら左の旧道へ入り、静かな町並みを過ぎて再び国道に合流。 横断地下道で右に渡り旧街道に入ると「石薬師宿東入口」(左)。
 

 石薬師宿と刻まれた石碑の隣に佐々木信綱の詩が記された「歌カルタ」(右)が立てられている。
  四日市の時雨蛤 日永の長餅の 家土産まつと 父を待ちにき  


  冒頭にも記したが、石薬師宿は佐々木信綱誕生地。西の入り口まで信綱の歌カルタと付き合うことに。


 歌カルタの先のお堂は「北町の地蔵堂」(左)。延命地蔵さんである。 江戸時代からのもので、今でも地元の人々による地蔵講がお地蔵さんをお守りしているそうだ。

 5〜6分歩くと、右の奥まったところに「大木神社」(右)の社が見える。石薬師宿の鎮守様であるが、ここにも佐々木信綱の句碑があり信綱から離れることができない。
  


 街道に戻ると、すぐ先右側に「旧小澤本陣」(左)の建物が見える。現在の建物は明治に入ってから建てられたもので江戸時代の本陣よりかなり小さい。宿帳には赤穂城主の浅野内匠頭の名も見えるという。
 
 建物の前の石碑は「小澤本陣阯碑」(左)。

 宿場入り口に「東海道石薬師宿」と刻まれた立派な石碑が建てられていたが、宿場内で江戸時代を感じることが出来るのはこの「本陣址碑」と「本陣建物」だけという、ちょっとさびしい宿場だ。


 信綱の歌カルタを見ながらぶらぶら行くと、やはり有りました。「佐々木信綱生家」(左)が。この一角にはその他に信綱資料館 ・石薬師文庫 ・弘綱翁(信綱の父)顕彰碑等、佐々木信綱関連が集められている。

 「卯の花の匂う垣根に ほととぎすはやも来鳴きて・・・・・」
 信綱25歳のときの作品だそうだ。

 町のあちこちに卯木(うつぎ)が植えられており、「卯の花が今まさに満開」(右)。良い時期に石薬師宿に来たものだと思う。地元の名士を前面に出した街造りも悪くないものだ。


 信綱記念館から5〜6分歩き「瑠璃光橋」(左下)を渡るとすぐに石薬師寺である。

 「瑠璃光」とは素敵な名前の橋だが、この橋には伝説が・・・・・無い。 国道1号を横断するために架けた橋で、この先の「高富山瑠璃光院石薬師寺」から「瑠璃光橋」と命名したようだ。

 橋を渡ると、すぐ右が「石薬師寺の裏門」(右)。ひなびた風情の門がなんとも味わい深い。門を入り階段を下りると、どうしてどうして、手入れされた庭がなかなか素晴らしい。

ご本尊は弘法大師の作と伝えらる薬師如来だが見ることはできない。


 ここには「芭蕉句碑」(左)が。
 「春なれや 名も無き山の 薄霞」 
  芭蕉さんが伊賀上野から奈良2月堂に向かう途中の句だそうだが、春のやわらかな空気が伝わってくるようですね。
 

 芭蕉以外の碑も有るがその中に「一休禅師歌碑」(右)がある。
 「名も高き 誓いも重き 石薬師 瑠璃の光は あらたなりけり」
この歌は石薬師の御詠歌にもなっている。


 石薬師正門前の道を左に入った先は「蒲冠者範頼之社」(左)。
源頼朝の弟範頼を祀った神社で願望成就の神様と言われている。 源範頼というと、兄頼朝と弟義経の間にあって凡将と言われていたが、なかなかどうして、神様になっているのですぞ。

 街道に戻り5〜6分、川の向こうにこんもりと繁った大木が見える。橋を渡った左側の土手の上が「石薬師一里塚跡」(右)で跡碑と常夜灯が設置されている。道路反対側には石薬師宿碑が建てられており、ここが宿場の西側入り口。



 この先は一里塚前からJR関西線の下を通り、国道1号下のトンネルをくぐり、さらに県道の陸橋下を通りと、ちょっと複雑な道になる。陸橋下を過ぎると江戸時代の東海道をイメージできる「田んぼの中の一本道」(左)に遭遇。この風景がいいんだなー。

 一本道もすぐに終わり国道1号に合流。 国道をかれこれ20分ほど歩き「庄野宿資料館」という看板が見えたら右に曲がると次の宿場「庄野宿」に入れる。


 佐々木信綱から離れることが出来ない石薬師宿であったが、歩き終わってみるとそれなりに味わいのある宿場であった。

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