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(39) 池鯉鮒宿 女の情炎の恐ろしさ『めったいくやしい』と聞こえる火の玉が。
平成18年3月18日
| 今は「知立」と書くが江戸時代は「池鯉鮒」と書いたこの宿場は、本陣・脇本陣各1軒、旅籠28軒と比較的小さな宿場であった。しかし、馬市や木綿市が開かれ、地方経済に対しては重要な位置を占める宿場でもあった。 |
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| 安城市から知立市に入り最初の江戸時代の遺構「八橋への道標」(元禄の道標)を見たら、ちょっと寄り道をしたくなった。東海道から右に折れ、 10分ほど歩くと杜若(かきつばた)で有名な「無量寿寺」に到着。 |
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芭蕉さんも鳴海の俳人下郷知足の家に泊まったおりに |
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ところで、一里塚には一般的に「榎」が植えられている。何故「榎」なのかであるが、徳川家康が一里塚構築を行った大久保長安に「塚にはええ木を植えよ」と言ったのをエノキ(榎)を植えよと聞き間違いしてしまったのだとか。 |
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しばらく続く松並木には3基の句碑・歌碑がある。 |
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万葉歌碑 馬市の跡碑 |
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名鉄の踏切を渡り、小ぶりの常夜灯を眺めて繁華街の五差路に到着。今まで歩いてきた道の延長の真っ直ぐ先が旧東海道。狭い道の先に建てられているのは「池鯉鮒宿問屋場之跡碑」(右)。 |
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脇本陣はもっと離れた知立駅近くの「小松寺」境内に「玄関」(右)だけが残され、今は地蔵堂として使われている。 脇本陣は本陣の前に有ったが明治3年、脇本陣廃止のとき、玄関だけがここへ移設されたのだそうだ。 |
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ここから平成18年4月6日
| 小松寺から100mほど西の交差点を右にがり次の交差点を過ぎると「池鯉鮒宿」の石碑が立っており、ここから旧東海道に戻れる。 |
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国道を横断した先の知立公園と知立神社に「芭蕉句碑」(右)があるのでちょっと寄り道を。 |
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総持寺を出たあとは「逢妻橋」を渡り国道1号に合流。しばらく歩くと歩道橋があるが、その下に「刈谷一里塚跡説明碑」(右)がひっそりと立っている。歩道橋を渡り、TONEXの倉庫裏を通り、再び国道に合流。 |
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| しばらく歩くと「洞隣寺」という寺院があるが、説明板に珍しいお墓が有る、と。 |
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藩士の墓の隣に有る墓が「めったいくやしいの墓」(右)、手前のちょこっと出た石が墓石である。 |
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洞隣寺のちょっと先右側の道端に「ひもかわうどん発祥地の碑」がある。「いも川うどん」が東へ伝わって「ひもかわうどん」となったのだとか。 このあと 「乗運寺の樹齢800年の椎の木」、富士松駅入り口の 「道祖神」などを見て国道1号に合流。 国道下の川が流れる地下道を通って向こう側に渡り、再び旧東海道に入って行く。その先の「境橋」を渡ると三河国から尾張国へ入るのだが、なんと、三河と尾張を繋ぐ「境橋」は膠(にかわ)で接着されている橋なのだとか。 |
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