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東海道五十三次道中記

(38) 岡崎宿  『岡崎27曲がり』を無事通過。

 岡崎城の城下町として発展した宿場であったが、なんといっても徳川家康誕生の地であり天下取りの足がかりとなった地でもあることから他の宿場とはちょっと見方が違ってくる。 岡崎宿のハイライトは「岡崎27曲がり」と言われる曲折した街道であるが、かなり慎重に歩かないと27曲がりを見失ってしまう。ここはゆっくり時間を掛けて往時を味わいたいところだ。

平成18年3月17日

 藤川宿を後にして国道1号を西に歩き国土交通省の看板が見えたらその先を左に入って行く。休憩所を通り、松並木も通り過ぎ、県道43号を横断して「蛍橋」まできたが、「蛍発生地碑」が 無い! 探しても無い!

 居合わせた人に 「恐れ入りますが、 」 「あぁ蛍でしょ、引っ越したよ。国道の向こう側だ」

 少し戻って国道1号を渡り京都側に100mほど歩くと駐車場の一角にありました。碑の集合場所が。その中に「岡崎源氏蛍発生地碑」(左)と説明板がある。国指定天然記念物だそうだ。

 芭蕉さんもここで蛍を一句。 隣りの「芭蕉句碑」(右)に、
 「草の葉を 落ちるより飛ぶ 蛍かな 」

 旧道に戻らずそのまま国道1号を歩き、「薬師寺」前から右側の旧道に入り、しばらく歩いて郵便局横の路地を入ると立派な門が見える。

 その立派な門は「大岡越前守旧邸跡」(左)で、屋敷塀と門を復元したもの。大岡越前は江戸町奉行での大岡裁きが有名であるが、後に大平藩一万石の大名となり三河を治めるため、この地に陣屋を置いたとのこと。門の中は休憩のできる広場として解放されている。
 

 6〜7分歩くと「大平一里塚」(右)に出会える。ここは「跡」ではなく当時の一里塚が左側だけ残っており二代目の榎も見事に生長している。右側の塚が有った場所には「秋葉常夜灯」「馬頭観音」を祀った堂がある。

 再び国道1号に合流。東名高速入り口の地下道を通り、ガソリンスタンド裏の旧道を歩き、公園を横切ったあと右側の旧街道に入って行く。旧街道に入って5〜6分歩くと大きな榎と冠木門が見えるが、ここから「岡崎27曲がり」となる。 ここはじっくり歩きたいので今日はここまで。

ここから平成18年3月18日

 天正18年(1590)に岡崎城主となった田中吉政は、さっそく城下の整備にとりかかった。このとき岡崎の郊外を通っていた東海道を城下町の中心を通るように変更したが、防衛上の理由から曲折の多い「岡崎27曲がり」を10年かかって造り上げたと云われている。

 「岡崎27曲がり入り口」(左)には榎が植えられ、冠木門と「岡崎27曲がり碑」(右)が据えられている。門は飾りであるので実際は門の前の道を進み、すぐに右へ折れて行く。これからは地図と睨めっこの街道歩きとなる。
 27曲がりの詳細はこちらへ

 曲がり角の要所要所には「27曲がり道標」(左)が設置されているが、全部に有るわけではない。うっかり見落とすと元に戻るのが大変だ。

 「若宮通り」を歩き、「伝馬通り」へ入ると車が多くなる。

 伝馬町交差点向こう側の 「備前屋」 の壁面に 「駒索朱印」(右)が大きく復元されている。徳川幕府の公印で、役人が公用で旅をするとき「駒索朱印」を示すと、宿や馬の継ぎ立てが最優先されたそうだ。

 伝馬町交差点から次の交差点までの間に「人馬継立石像」(左)など20体の石像が道路両側に設置されている。岡崎宿をテーマにした石像であるが、これがなんとも可愛い。
こちらに一覧にしましたので見て下さい。

 伝馬町交差点の次の交差点右側に「西本陣跡碑」(右)が建てられている。岡崎宿には本陣3軒、脇本陣3軒と東海道では第三位の規模の宿場であった。その他の本陣跡碑も建ててくれると街道歩きがより楽しくなるのだが。

 西本陣跡碑のある交差点の左側に「西本陣前角」という道標があるのでこれを見て左に曲がると次の交差点向こう側に「きらみち道標」(左)が建てられている。この交差点を右に曲がる道が旧東海道である。
 

 右にまがり数分歩くと「赤煉瓦造りの建物」(右)が人目を引く。大正6年に岡崎銀行本店として建てられた赤レンガと花崗岩の建物である。その後、商工会議所として使われたが、現在は資料館として一般に開放されている。  

 赤レンガ建物からさらに数分歩くと真ん中に緑地帯のある道路にぶつかる。右側の緑地帯の中に岡崎城の「龍田葱門跡碑」(左)があるので、これを見て右に曲がり、次の交差点からは今は無き公園の中の東海道を行く。
 

 公園の中を歩き、「連雀通り」「木まち通り」を通ってくると「伊賀川」に架かる「柿田橋」に来るので、橋は渡らず土手沿いに左へ曲がると「材木町より肴町」と刻まれた「道標」(右)がある。川沿いに下り次の「三清橋」を右に曲がって行く。 

 国道1号を横切り、板屋町から右に曲がってゆく道が「27曲がり東海道」であるが、竹千代が待っているので寄り道を。

 板屋町道標の一つ先の十字路を左に曲がり、「竹千代橋」を渡ると、橋のたもとで「竹千代が無邪気に遊んでいる」(左)。

 その先の「岡崎城」(右)は明治の初期に城郭の大部分が壊されてしまったが、昭和34年に天守閣を復元。鉄筋コンクリート造りのせいか、内部が小田原城とよく似ているんだなー。

 城内の巽閣近くに「芭蕉句碑」(左)が有りました。
 「木のもとに 汁も鱠(なます)も 左久良哉   芭蕉」

 再び東海道に戻り国道24号を横断すると、交差点際に西惣門跡を示す「松葉総門跡碑」(右)が建てられている。
注:この碑は「葱」ではなく「総」が使われている。

 「松葉通り」を進むと「八丁味噌の郷」の看板が目に飛び込んでくる。 右に曲がると「八丁味噌カクキュウ」(左)の建物が、その先に売店がある。岡崎に来たらなんといっても八丁味噌を買わなければ。リュックがずしりと重くなった。色の割に薄味でなかなか旨い味噌だ。

 街道に戻ると左右に「味噌蔵」(右)が並んでおり、一歩踏み込むと独特の雰囲気がある。時間が許すなら、六尺樽の並ぶ工場の見学もお勧め。

 「矢作橋」を渡ると「出会いの像」(日吉丸〈秀吉〉と蜂須賀小六の出会い)があるはずだが、工事の関係か撤去されていた。残念。

 矢作橋を渡り、右の彼方に見える「矢作神社」(左)まで足を伸ばしてみた。ここには矢作神社の名前の由来である日本武尊伝説や新田義貞ゆかりの「うなり石」などがあり、由緒ある神社だが今はひっそりとしている。

 東海道に戻り、しばらく歩くと義経伝説にまつわる「誓願寺十王堂」の奥の幼稚園前庭に「芭蕉句碑」(右)が建てられており、知らない人はいないという句が刻まれている。
 「古池や 蛙飛び込む 水の音 」 江戸・芭蕉庵で作られた句だが、何故ここに。

 しばらく歩いた後、国道1号に合流してひたすら歩き、安城市に入ったら国道1号と分かれて再び旧東海道の旅へ。

 歩き疲れたころに見えたのが「予科練の碑」。岡崎海軍航空隊があった場所で、ここで多くの若者が訓練を受け、一部は片道切符で南の空へ飛び立ったという悲しい歴史がある。 この少し先に江戸から83番目となる「尾崎一里塚跡碑」(左)がひっそりと立っている。

 さらに歩き続けると「夫婦松」(右)が寄り添っている。実はこの松には変なことがある。
「三河路に 昔をしのぶ 夫婦松 住人」と看板があるのだが、松にはそれぞれ「助さん・角さん」と名前がついている。 夫婦が助さん格じゃーちょっとなー。

 この後「永安寺の雲龍松」「明治用水開渠記念碑」等を見て「池鯉鮒宿」を目指すのだが雨が本降りになってきた。

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