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東海道五十三次道中記
(34)吉田宿 江戸時代よりもっと大昔 弥生時代の住居も有りました。 街道地図
 吉田宿は吉田城の城下町として、また豊川(吉田川)の港町としても栄えたが、すでに鎌倉時代から賑わいをみせていた宿場町でもある。吉田宿に入ると東惣門の先は曲尺手(かねんで)町と名前がつくように曲がり角が多く、慎重に歩かないと街道を外れてしまう。

 平成18年3月3日
   二川駅から小一時間、坂を上り、ワンちゃんにポーズを取ってもらい、街道松を見てたどり着いた所が国道1号との合流点。

 合流点の三角地帯に江戸から83番目の「飯村一里塚跡碑」(左)が建てられている。ついに東海道の一里塚123カ所の6割まで到達。

 ここから再び国道1号をトラックに付き合って30分。壽泉寺・不動院などを見て、やっと到着した場所が吉田宿入り口の東八町交差点。 横断歩道が無いので歩道橋で向こう側に渡ることに。

歩道橋の上に立つと結構見晴らしが良い。 右手の広場にかなり大きな「秋葉常夜灯」(右)が見える。


 そうこうするうちに「市電」(左)が走ってきたではないか。
いやー懐かしい。

歩道橋で国道1号を渡り、さらに右に曲がって階段を降りると「吉田城東惣門(ミニ復元)(右)が待っている。
  


 東惣門の先が少し複雑だ。惣門を右に見て50mほど歩いたら右に曲がり、最初の四つ辻を左に曲がり、突き当たったら右へ。

 この先は真っ直ぐな道を「バス停・曲尺手(かねんで)(右)等を見ながら5〜6分歩くと植え込みの有る広い道にぶつかる。コメント:バス停は廃止されているかもしれない


 右側の植え込みに「曲尺手門跡碑」(左)、左側の植え込みの中に吉田宿と記された石碑が建てられている。

 さらに真っ直ぐ1〜2分進み、四つ辻を左に曲がって広い道に出たら右に曲がる。この先は松葉公園まで真っ直ぐだが、途中でちょっと寄り道を。

 広い道に出たら次の交差点を真っ直ぐ行かず右に曲がると、最初の十字路に「吉田城大手門跡」(右)と記された標柱が建てられており、この道をさらに進むと、そこは吉田城址


 牧野氏が築城し、池田輝正が天正18年(1590)から城地の拡大を進めた城であったが、今に残る遺構はほとんど無い。昭和29年に「鉄櫓」(左)が復元されたが、その他は石碑が立つのみで、まさに城址だ。

 街道に戻り次の交差点まで来ると目の前を路面電車が横切ったのだが走る音がいいんだなー。なんとなく頼りないような音が。

 交差点そばに「吉田宿問屋場跡」(右)と記された標柱が立っている。


 路面電車の線路を横切りちょっと歩くと車道際に「吉田宿本陣跡標柱」(右)があり、後ろに振り向くと鰻屋の前に「吉田宿本陣跡」(右))と刻まれた立派な石碑が建てられている。

 道路反対側斜め向こうに見える石碑は「脇本陣跡碑」(左)。

 


 5分ほど歩くと松葉公園があり、その手前の歩道上に「吉田宿碑」(右)がドーンと立っている。吉田宿は曲がり角が多いが、この交差点も直角に右に曲がる道が旧東海道である。

右に曲がり国道23号を横断すると見えたのは「吉田宿西惣門」(左)のかわいらしい姿。

 惣門を見て二つ目の交差点まで来たら今度は左へ曲がる。 左へ曲がったら数分歩き右へ曲がると豊橋に至るが、この道が旧東海道。


 「豊橋」を渡る道に入る前に見ておきたい句碑がある。街道際に「芭蕉の句が刻まれた石碑」(左)が建てられているが、目指すは神明社境内の池畔にある「旅寝塚句碑」(右)。

   寒けれど 二人旅ねぞ たのもしき   芭蕉

吉野紀行の途次、最愛の弟子に会うため吉田宿に泊まったその夜の句だそうだ。

 豊橋を渡ったらすぐに左へ曲がる道が旧東海道。吉田宿の道はとにかくよく曲がるが、この先はずっと一本道。

 数分歩くと「ういろう」と書かれた看板の「和菓子屋さん」(左)。迷わず購入。ヨモギの香りがする「ヨモギ入りういろう」が美味しい。

 ういろう店のすぐ先、聖眼寺境内には「松葉塚」(左)がある。
    ごを焼いて 手拭あぶる 寒さ哉   芭蕉
「ご」(松の枯れ葉)から松葉塚と呼ばれているそうだ。


 聖眼寺からさらに数分歩くと右側に「下地一里塚跡碑」(右)。「飯村一里塚跡碑」からここまで約4km。歩くだけなら1時間のコースだがずいぶん時間を掛けてしまったようだ。

歩道際に史跡境界と刻まれた石碑が立っており、その上に瓜郷遺跡の看板。ちょっと寄っていくか。

 ここは弥生時代の遺跡で、土器・石器などが多数出土しているそうだ。静岡の登呂遺跡と同じような「弥生時代の住居」(右)が復元されている。


 街道に戻りしばらく歩くと登り坂の先に橋が有るが歩道が無い。トラックが橋の欄干ぎりぎりに走ってくる。 怖わー!まだ死にたくないよ。仕方ないので田んぼの中の道を通って
国道1号の小坂井大橋を渡り対岸まで行ったが、とんだ遠回りになってしまった。


 元の橋まで戻り坂を下って行くがここも怖い。坂を下ったところに「子だが橋碑」(右)が建てられている。この碑には悲しい伝説が。この先にある「兎足(うたり)神社」(右)の生贄伝説だが、悲しい話は割愛。

悲しくなったせいか雨が降ってきたので雨宿りがしたい。

雨があがった後は快晴。街道歩きも快調に進む。五社稲荷神社道標・秋葉常夜灯などを見ながら十数分。

 伊奈立場茶跡と記された標柱の後ろに「芭蕉と門人加藤烏巣の句碑」(左)がある。
    かくさぬそ 宿は菜汁に 唐が羅し   芭蕉
    もものはな さかひしまらぬ かきね哉   烏巣

 数分? 十数分?歩いた右側に太鼓店が。太鼓だけを商いにする店はついぞ見たことが無かったが、その店の前に立つ石碑は「伊奈一里塚跡碑」(右)。

もう少し歩くと「豊川市」。目指すは「御油宿」。

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