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(25) 日坂宿 「事任八幡宮」? 読めないナー。
| 遠江に入って最初の宿場が日坂宿である。幕府直轄地であったが金谷宿と掛川宿に挟まれた小さな宿場で「助郷制度」(近隣の村々の協力制度)でやっと維持されるという宿場であった。 現在も 「静かな山里の村」 といった風情が残っている。 |
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平成18年1月27日
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上り初めてしばらくすると民家の前に「歌碑」(右)がある。 |
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きつい坂道でも歩いていればいつか頂上。頂上の古刹「久延寺」(左)は、掛川城主の山内一豊が茶室を設け、関ヶ原に向かう家康を接待した場所で、境内には家康お手植えと云われる「五葉松」の大木がある。 久延寺で忘れてならないのは「夜泣き石」(右)。山賊に殺された妊婦の泣き声が石から聞こえてきたそうだ。 |
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扇屋の前の公園に「西行法師歌碑」(左)がある。 公園からしばらく歩くと左側に江戸から54番目の「佐夜鹿一里塚跡」(右)がある。塚は削られてしまったが、植え込みの中にあるのは「史跡一里塚」と刻まれた「一里塚石碑」。 |
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一里塚を過ぎてからは緩い下り坂、天気は良いし、「茶畑と山並み」(左)の良い景色、車も通らない。しかも数百メートル置きに「小夜の中山」を詠った「歌碑」が続き、まさに「歴史ロマンコース」。さきほど「地獄の上り坂」と言ったが、一転、「天国の下り坂」といったところか。 のんびり下って来ると「白山神社」(右)が見えてきた。ここには夢舞台東海道の道標もある。 |
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白山神社から2〜3分の茶畑の中に「妊婦の墓」(左)がちょこんと立っている。蛇身鳥を退治したという三位良政卿と月小夜姫との間に生まれた娘の小石姫が自害した場所だと伝えられている。小石姫が身重であったことから「妊婦の墓」と言われるようになったそうだ。 妊婦の墓の対面に「涼みの松」と「芭蕉句碑」(右)がある。 |
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そのちょっと先右側に「広重絵碑」(左)が建てられている。写真では分からないが、道の真ん中に「夜泣き石」があり旅人が手を合わせている。 「夜泣き石」は引越しを繰り返したようだ。最初は道路の真ん中。次は前記「跡碑」の場所、そして現在の「久延寺」境内。 しばらく歩くと「とんでもない急坂」(右)、しかもS字カーブ。下ったところが国道1号との交差点。 |
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| 国道1号を横断するといよいよ「日坂宿」に入る。その昔は「西坂」と言われたようだが、いつの頃か「日坂」と呼ばれるようになったのだとか。 |
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門を入り写真を撮ろうとしたら、リヤカーで遊んでいる「少年達」(左)がいるではないか。イヤー懐かしい。 |
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| 昔の屋号を書いた木札が下がる家があり、格子戸の家があり、なまこ壁の蔵が有りと、所々で時代が逆戻りするような町並みである。 |
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そんな中に「脇本陣黒田屋」(左)の表示がある。日坂宿は本陣1軒、脇本陣1軒の小さな宿場であった。 町並みの外れに「旅籠・川坂屋」(右)の建物がある。 |
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旧街道から国道1号を横断した所にある「事任(ことのまま)八幡宮」(右)、願いが「事のままに叶う」そうだ。もともとは「任事(ままのこと)神社」と呼ばれ歴史は古く、「枕草子」にも登場している。 |
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7〜8分歩くと「伊達方一里塚」(右)と説明板、そして松が1本植えられている。江戸から57番目になるが、佐夜鹿一里塚が54番目であるので55,56が不明のままとなってしまった。 |
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| 事任八幡宮を出ると「掛川宿」を目指すことになるが、掛川宿までは遠かった。なんと、伊達方一里塚の後、もう一度一里塚を通り過ぎたのだから。この間は一里塚以外に見所が少ないため、国道1号をひたすら歩き続けた1時間半であった。. |
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