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東海道五十三次道中記
(24) 金谷宿  牧ノ原台地の茶畑は春がよさそう。    街道地図
 金谷宿は西に小夜の中山峠、東に大井川と旅の難所を前後に挟まれた宿場で、川留めになると江戸の町かと思われるほどの賑わいとなったようだ。 宿場を抜けると牧ノ原台地に至る金谷坂の石畳道を登り、牧ノ原台地の茶畑を眺め、菊川坂の石畳道を下って菊川の里に入って行く。この先には箱根の登りよりきつい小夜の中山峠が待っている。

 平成18年1月27日

 ついに大井川を越えました 橋の袂に「大井川橋碑」(右)が設置されており由来が記されている。 それによると昭和3年(1928)に架設されたこの橋は、当時の技術力を結集して作られた最大級の道路橋だそうだ。

 思えばずいぶん多くの橋を渡ってきたが、大きな橋を渡ると町の雰囲気がどことなく変わるのは人の行き来が制限されるせいだろうか。
     


 橋を渡って土手づたいに100mほど下ると旧東海道の標識が。

 右に曲がり土手を降りた先に「大井川 川越の図」(左)があるが、今は歩いて? 渡れるかと思うほど水が少ない。
すぐ先の 八軒屋橋 を渡ると金谷町の町並みに入る。

 店先のお母さんに宅円庵を訪ねると「その先の路地を行けば分かるわよ」と素っ気ない返事。

 宅円庵には「白浪五人男」の頭領「日本左衛門の首塚」(右)がある。 見付宿でさらし首になっていたものを愛人の おまん がひそかに持ち帰りここに葬ったのだそうだ。


 旧街道に戻って大井川鉄道の踏切を越え、大代橋を渡るとその先は金谷町の商店街。

 どなたかが書いていたが、この辺の裏通りが面白いというので路地裏を歩いてみた。狭い路地があったり、蔵があったり、土間の大きな家があったりとなかなか味わい深い。
 

 元の道に戻ると佐塚書店前に「本陣跡・佐塚屋」(左)の大きな表示があり、その先に柵で囲われ、きれいに整備された植え込みの中には「本陣跡・柏屋」(右)の表示がされている。

 佐塚書店は「本陣佐塚屋」の15代目にあたるそうだ。


 緩い坂を上って行くと彼方にJR金谷駅のホームが見えるがホーム手前のガード下を通る道が旧東海道で、その手前に「夢舞台・東海道」の道標と「金谷一里塚跡の立て札」(左)が建てられている。

 ガード下を通り長光寺へ行く階段を上がると「芭蕉句碑」(右)が。
   道のべの 木槿(むくげ)は馬にくわれけり 
 
「道端に咲いていた木槿の花は、私の乗っている馬にパクリと食われてしまった」
 こんなことも俳句にしてしまうとは、さすが芭蕉さん。


 金谷駅を右に見ながら歩き不動橋を渡ると突然急な上り坂となりビックリ。毎日ここを歩く人はさぞ大変だ。

 坂を上り切って車道を横切り旧東海道石畳入り口の看板に従って右に入ると、「金谷坂石畳道入り口」(左)となる。

 石畳道に入るとすぐに「石畳茶屋」(右)があるので食事休憩。

 これから山越えなので旨いものでもと思ったら蕎麦とうどんしかない。 エーッこれだけ、そりゃないよ。 といってもしかたない。 蕎麦にするか。 エーッ 掛け と 山菜 だけ!せめて天ぷら蕎麦が食べたいよ。  


 石畳茶屋のすぐ上の広場に「鶏頭塚」(左)がある。 あけぼのも 夕ぐれもなし 鶏頭華  と刻まれているらしいが、よく読めない。六々庵巴静翁塚と刻まれた文字は読める。巴静(はじょう)は江戸時代の俳人でその門弟たちが翁を慕って歌碑を建立したのだそうだ。
 

 鶏頭塚から少し上ると「すべらず地蔵」(右)の六角堂。ここの石畳道はすべらないということから「すべらず地蔵」 転じて「受験生がすべらない」という霊験あらたかな地蔵様だそうだ。


 石畳道を上り切ったら右へ曲がっていくのだが、左へ曲がってちょっと寄り道を。

 曲がってすぐの所に「芭蕉句碑」(左)がある。
    馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり 

 芭蕉さん、中国の詩人杜牧(とぼく)の「鞭を垂れて馬に・・・林下に残夢を・・・」の一部を引用したようですよ。

 諏訪原城址をちょっと覗いて元に戻り「牧ノ原台地の茶畑」(右)を思い切り満喫。今は深緑の絨毯でちょっと重々しいが、芽吹きの春は素晴らしい黄緑に変わっているだろう。


 この先は道標に従って「石畳の菊川坂」(左)を一気に下って行く。


 「菊川の里」(右)は江戸時代は「間の宿」として賑わったようだが、今はそれはそれは静かな山間の里でした。

 菊川の里会館入り口に宋行卿誌碑と日野俊基歌碑がある。また建物の壁いっぱいに白菊物語が記されている。 珍しくハッピーエンドに終わるという目出度い伝説でした。

 菊川の里を抜けると小夜の中山峠への道標に歴史ロマンコースとあるが地獄の坂道を登ることに。

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