 遺跡入り口に左写真の標柱が建てられており、その先は「懐かしい」を通り越して時代劇の「町並み」(右)になる。もちろん電線などは見あたらない。ところが、屋根に「テレビアンテナ」が。残念だなー。
100mほどの区間だが結構雰囲気がある。今は人が少ないが当時は「川留めにでもなったら旅人が溢れかえっていたんだろう」などと想像をかき立てられる。 
町並みの中程に関川庵・八百屋お七の恋人吉三郎の墓なる標柱が。標柱にはさらに「火と燃ゆる 恋に心も身も焼きて あわれお七が灼熱の恋」と記されているではないか。「吉三郎の墓」(左)を見に行かねば。
コメント:「吉三郎は、お七の魂を鎮魂するべく出家し、西運上人と呼ばれるようになった。そ の墓は東京・目黒の大円寺にある。
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