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東海道五十三次道中記

(22) 藤枝宿  日蓮上人お手植えの松、それはそれは立派な松でした。
                                                                               街道地図                                        

藤枝宿は江戸から数えて22番目の宿場で、田中城の城下町でもあった。徳川家康もしばしば立ち寄ったと言われているが、家康の死因と言われる天ぷらは、この田中城で食べたと伝えられている。天ぷらはともかくとして、藤枝宿では今まで見られなかったユニークな方法で宿場を案内しており旅人を喜ばせてくれる。 また、跡碑をきめ細かく設置した「青島史跡保存会」の皆さんには頭が下がる。

平成18年1月17日

 旧街道の入り口と出口に、「巌村領傍示杭」(左)が設置されている。木製での復元だが、嬉しいことだ。

慈眼寺
を見ながら5分ほど歩くと横内橋。ここには「横内歴史案内板」(左)があり休憩所となっている。そばに「川除地蔵」(右)などもあり「ちょっと一休み」。


 出口側の巌村領傍示杭の横の国道1号を横断し、再度県道を横断すると、車が少なく静かな旧東海道が続く。


 旧街道に入ると立派な「田中領傍示杭」(左)が建てられており、由来が記された由来碑も設置されている。

 ここから「田中城下」ということになる。一旦国道に合流したのち再び旧道に入ると民家の前に「鬼島一里塚跡標柱」(左)が。

 この先の八幡橋を渡り右に曲がってしばらく歩くと「鬼島の建場(説明碑に建場と記載されている)(右)の一部が復元されている。懐かしいのは「梯子形の半鐘櫓」(右)。子供のころ見たことがあるなー。



 数分先に、枝を思い切り広げた大木「須賀神社の大クス」(左)が見える。樹齢500年というからすごい。江戸時代以前からこの地で旅人を見守っていたことになる。

 須賀神社の先に「鎧ケ渕」と「観音堂」があるのでちょっとだけ覗いてみた。

 その先の松並木を過ぎ、国道1号を横断すると再び旧東海道となり「藤枝宿」に入る。数分歩くと「東海道藤枝宿 左車町」(右)の標識があるが、この辺りが宿場の「東木戸」であったようだ。

ここからは平成18年1月20日

藤枝駅から新静岡行きのバスで「藤岡入り口」下車。さあ出発だ。 ちょっと歩くと右側に成田山の大きな看板。その前をてくてくと歩く。


 商店街をしばらく歩くと、左側の歩道の敷石に「問屋場跡」(左)と記された絵タイルがはめ込まれている。矢印の前が問屋場が有った場所ということになるが、ユニークな方法だ。絵もあって楽しい。

 

 さらに先へ行くと「小川眼科」前に「白子由来記の碑」(右)と絵タイルがある。本能寺の変の折、伊勢白子の住人小川孫三が徳川家康を助けたことで恩賞を受け、この地に移住したのだとか。



 白子由来記から数分の右側に松の木と「秋葉常夜灯」(左)。その後ろは蓮生寺。写真は小さいので分かりにくいが、常夜灯の足の部分が「ガニマタの足」のようでなんとなく滑稽。

 道路左側を7〜8分歩くと絵タイルに大慶寺とある。

 路地を入ると見上げるような松の大木。日蓮上人お手植えの「久遠の松」(右)である。樹齢700年、樹高25m、幹回り7mという巨木。「久遠の松」さん、松食い虫などに負けずにあと700年生きてくれよ。



 大慶寺から数分先の右側、商店の前に「下本陣跡」(左)、20mほど先に「上本陣跡」(左)、その先の交番前に「問屋場跡」(右)、それぞれに絵タイルが埋め込まれ案内してくれる。

 石碑を建てる代わりに絵タイルという方法も面白い。しかし、後世まで残すならやはり石碑だろうな。重みが違う。



 問屋場跡のすぐ先の交差点を渡り、右に曲がると足下に瀬戸谷街道と刻まれた小さな道標が。その先に常夜灯があり、「ひなびた街道」の雰囲気が残る道が続いている。


 もとに戻ると、すぐ先の右側に正定寺の山門が見えるが、この寺院には「本願の松」(左)というそれはそれは立派な松がある。

 享保15年(1730)というから江戸時代中期に植えられたというが、横に伸びた枝振りの見事なこと。藤枝市指定の天然記念物だそうだ。

 正定寺の先の勝草橋を渡ると右側に「秋葉常夜灯と志太一里塚跡碑」(右)が、なんと檻の中に入っているではないか。大事にする気持ちは分かるがここまでしなくてもいいと思うがな。



 一里塚から10分ほど歩き国道1号の横断陸橋を渡り再び旧東海道に。


 さらに十数分歩くと「田中藩領傍示石蹟碑」(左)が建てられており、さらに20分ほど歩くと「傍示石蹟碑」(左)がもう1本建てられている。

 最初の傍示石蹟碑から数分の左側にある建物が「六地蔵堂」(右)。

 このお地蔵様の霊験あらたかなことは大変なようで、大きな板に縷々説明されている。きっと六地蔵へ思い入れの深い人が書いたのだろうな。



 青島史跡保存会が「田中藩傍示石蹟碑」以外にも実にきめ細かく碑を建てている。
 順番に見てゆくと六地蔵堂のすぐ先右側に「古東海道蹟碑」、その先左側に「東海道追分け道標」、さらに7〜8分歩くと「千貫堤碑」
千貫堤碑の反対側に「染飯茶屋蹟碑」が建てられている。

 コメント:各碑には跡ではなく蹟が使われているのでそれに従った。




 西側の田中藩領傍示石蹟碑から20分近く歩くと「上青島一里塚跡碑」(左)がある。この辺は「松並木」(左)が残っており、天気が良ければ快適に歩けそうだが、あいにくこの日はどんよりした曇りで寒い。

 一里塚跡碑を過ぎると国道一号に合流し、車の騒音とともに西へ向かって行く。六郷駅の手前で一旦右側の旧街道に入り、しばらく歩いた後国道に戻り栃山橋を渡ってまだまだ歩く。 島田宿は遠い。
 

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