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東海道五十三次道中記
(19) 府中宿  鷹狩り中の家康公、見ている先は何処だろうか。   街道地図
 府中宿は駿府城の城下町として大変賑わっていた。 今も商店がひしめき合う繁華街で、当時の面影を探すことは難しいが、伝馬町・呉服町・両替町・研屋町・七間町など当時の町名が残っており、これらを拾い歩くだけでも江戸時代を感じることができる。

平成18年1月11日

 旧東海道はJRの操車場でプッツリと切れてしまい、先へ進むことができない。 せめて旧東海道があったことを後世に残そうと、「旧東海道記念碑」(左)が建てられている。しかたない、右側の地下道を行くか。
 

 地下道を出て旧街道に戻り、国道1号を横切ると「長沼一里塚跡碑」(右)が有る筈だが、無い! 長沼駅近くまで来てしまった。戻って探すと、なんと民家の前にちゃんと有るではないか。よく見なければ。


 再び国道1号を横切って旧東海道に入って行くと(コメント:国道を横切った先の旧道は巨大商業施設に飲み込まれ無くなってしまった)、またまたJRの操車場。今度は地下道も無い。しかたない、国道1号まで戻り柚木駅前から東海道線の地下道を通って向こう側に渡り旧東海道に入ることに。 500mほど歩くと、なんと、また東海道線。幸いここには地下道があるので助かったが、鉄道路にはまいった。 この先の国道1号を横切って旧東海道は続く。

 国道1号を渡った先に下横田町と記された道標と町名の由来が記されたプレートが設置されている。

 その前のガラス戸の中がいやに派手だなと思って見ると「延命地蔵尊」(左)だった。 ショーウインドウの中のお地蔵さんだな。

 ちょっと寄り道を。次の交差点を右に曲がった先の清水寺「芭蕉句碑」(右)がある。
 「駿河路や はなたちばなも茶のにおい   芭蕉翁」
この寺には沢山の句碑があるが、全〜部見ていこうかな。


 旧東海道に戻り、数分ほど歩いた左側に久能山東照宮道 道標が立っている。その反対側の路地奥に華陽院という寺があるが、ここには家康の祖母「源応尼の墓」、家康の5女「市姫」、側室「お久の方」の墓があり、家康には縁の深い寺である。

 街道に戻ると「花陽院門前町」(右)と刻まれた道標が建てられており、隣に説明パネルが。

 どういう訳か説明パネルでは「華陽院」(ハナ=ケと読む)、道標では「花陽院門前町」と使い分けしている。理由はわからない。


少し歩くと「下伝馬町本陣・脇本陣跡碑」(左下)その先右側に「上伝馬町本陣・脇本陣跡碑」(左下)が説明パネルとともに建てられている。


  さらに先へ行くと五差路の江川町交差点に達するが、その手前右側に「西郷・山岡会見之地碑」(右)がある。


  東京・三田で行われた「勝・西郷会見」の前段階の会見がこの地で、勝の手紙を携えた山岡鉄舟と西郷隆盛とで行われていた。  


 江川町の交差点は横断歩道が無い。地下道を通って向こう側に渡り、呉服町交差点まで来たら右折。繁華街を通って、伊勢丹前の交差点を左折する道が旧東海道。 しかし、ここでぜひ会わなければならない人がいる。右に曲がって駿府城址へ行くことにした。



 県庁前の交差点まで歩くと、交差点の右側に「駿府町奉行所跡碑」(左)・静岡の由来碑・ガス灯などを見ることができる。
 

 交差点を渡ると「外堀」(右)があり、その先が駿府城であるが、県庁の建物があるため真っ直ぐ進めない。県庁の外をぐるっと回って二之丸橋から駿府城址に。
  


 駿府城は将軍職を辞した家康の本拠地であったが、「竹千代」といわれた家康の幼少期と、大政奉還後の「徳川慶喜」が過ごしたということでは、徳川幕府の前と後の両方を知っている城でもある。

 いやー広いなー、さすが駿府城。右手に歩いて行くと駿府城跡と刻まれた大きな石碑。その先、はるか彼方に、「東御門」(左)が見える。

 駿府で会いたかった人は「徳川家康公」(右)。

 この人の命によって整備された東海道を歩いているのだから、ぜひお会いしなければ。左手に鷹を乗せ、彼方の一点を凝視。獲物を探しているのだろうか


 家康公銅像の前に「家康公お手植えのミカン」(左)の木が思い切り枝を広げている。
さぞや沢山の実をつけたことだろう。
 

 ところで、この城址公園で「銀座の柳」と対面するという思わぬプレゼントをもらってしまった。東の端に近いところに 「銀座の柳二世」(右) がすくすくと育っている。銀座よりこちらの方が元気が良さそうだ。


 伊勢丹前の交差点に戻ると「札の辻跡碑」(左)がすぐに目に入る。ここには目立たないがもう一つ碑がある。札の辻碑と斜め対面の位置に里程元標跡碑が立っている。車道に向いているため見落としてしまいそうだ。

 見落とすといえば「府中一里塚跡碑」(右)も見落としてしまいそう。江戸時代初期の街道沿いで、現在の「本通り9丁目」という旧東海道とは違う場所にある。しかも車道に向いているではないか。ずいぶん探したよ。碑を設置した人も意地悪だね。


 旧東海道に戻ると、「札の辻跡碑」を右に見て「七軒町通り」を進み、ファミリーマートの手前を右に曲がり、キリスト教会を見たらその先の十字路を左に曲がると、あとは安倍川橋まで真っ直ぐな道が続く。とにかく真っ直ぐ。嫌になるくらい真っ直ぐである。
 やっと道が右にカーブすると大きな道路にぶつかる。ちょうど車が全く来ていなかったので真っ直ぐ横切ろうとしたら目の前が交番。ヤバイ!

 交番の横に「安倍川の会所跡」の説明板がある。川越え賃など 縷々説明されているが割愛。交番の後ろが「弥勒公園」となっており、真ん中にドーンと立っているのは「由比正雪公の墓跡碑」(左)。

 公園を出て安倍川に向かうと、店と店の間に「安倍川の義夫の碑」(右)が建てられている。

 ここにも云われが縷々記されているが、かいつまんでみると「拾った物を返すのは当たり前、と旅人が落とした大金のお礼を受け取らなかった川越人夫の話」である。


 安倍川橋の袂に3軒の「安倍川餅店」(左)がある。土産に買おうと橋本屋商店に入り注文したところ、「待っている間に食べて」と、お茶ときなこ餅、あんころ餅を出してくれた。ほどよい甘さが美味しい。

 ところで「安倍川餅」の名前の由来だが、挽き豆の粉(きな粉)をまぶした餅を食べた家康公、あまりに美味しかったので「うい奴じゃ、安倍川餅と名付けよ」と言ったのが始まりだとか。

 目の前の「安倍川橋」(右)を渡ると丸子宿。ついにここまで来たか。

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