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東海道五十三次道中記

(18) 江尻宿  追分け羊羹店の蒸し羊羹は素朴な味で旨かった。  街道地図
 東海道五十三次18番目の江尻宿は本陣2軒、脇本陣3軒と府中宿に次ぐ大きな宿場であったが、今は表示など無くさびしいかぎりである。この江尻宿で有名なのは清水湊と清水次郎長。そして大和武尊の伝説で有名な草薙神社。もう一つ、元禄8年創業の追分け羊羹店。

 平成18年1月5日

 清見寺から国道1号を30〜40分。旧東海道は右に入って行くのだが、その三角地帯に松が1本。「細井の松原跡」(左)である。江戸時代は千本以上の松林だったらしい。

 ここから15分ほど歩くと4匹の河童に守られた「稚児橋」(右)がある。

 稚児橋には河童伝説が。 はじめて橋が架けられたとき、渡り初めを始めたところ おかっぱ頭の男の子が現れアレヨアレヨという間に渡ってしまった。実は河童だったのだが、あの子供はきっと神のお使いに違いないということで「稚児橋」と名付けたそうだ。


 旧街道は稚児橋を渡り二つ目の交差点を右に曲がって行くわけだが、見付跡も本陣跡も全く見あたらない。

十数分歩くと左側に「追分道標」(左)が立っており「是より志三づ道」と刻まれている。

 道標の隣に見える真っ赤な暖簾のお店が創業元禄8年(1695)という「追分け羊羹店」(右)。徳川慶喜公もご贔屓だったそうだが、竹の皮に包まれた蒸し羊羹は甘さが控えめで素朴な味。緑茶によく合う。


 追分け羊羹店からしばらく歩くと左側に通称「都鳥」と言われた「都田の吉兵衛の供養塔」(左下)がある。

 都鳥(都田の吉兵衛)に殺された森の石松の恨みを晴らすため次郎長親分が追分けで都鳥を討ち取ったが、その菩提を弔う人はいなかった。これを憐れんだ里人が供養塔を建立したのだとか。

都鳥供養塔の少し先に「姥ケ池」(右)が有るはずだが。

 ちょうど歩いてきたお婆ちゃんに「姥が渕は・・」と訪ねると「姥ケ池でしょ、姥ケ池。その信号を曲がったところよ、その信号を曲がった所が姥ケ池よ」 分かりました、ごめんなさいね。間違えてしまって。


 旧東海道に戻り東海道線の踏切を越えて緩い坂を登って行くと頂上に久能寺観音道 道標とその説明板がある。道の向こう側には東海道の由来を記した看板が。 それによると『日本書紀に東海(うみつみち)と記されたのが始まりとある。ヤマトタケルが東征の折に草薙剣の物語を残し、防人達が九州へ下った道が北街道と呼ばれた旧街道。その後、徳川家康の命により稚児橋が架けられて現在の旧東海道ができあがった』のだそうだ。

ここから平成18年1月11日

 坂を下って左へ曲がった所に鎌倉時代創建という「上原子安地蔵堂」(左)がある。徳川家康が武田勝頼の補佐役であった穴山梅雪と会見し、武田氏滅亡の切っ掛けを作った場所でもある。
  

 500mほど歩き県道に合流すると、交差点の向こう側に「大きな狸」が立っているではないか。その横に立派な「草薙一里塚碑」(右)と由来碑、そして昔作られた一里塚跡碑もある。 ここで信楽の狸に出会うとは。


 大狸から15分ほど歩くと見上げるような大鳥居。車道を跨いで立っているのだからそれはそれは大きい。「草薙神社の大鳥居」(左)である。ところが、この鳥居は直前まで太い棒だと思っていたのだから面白い。道路と平行に立っているので遠くからは鳥居に見えなかったのだ。

 大鳥居を過ぎ交差点を渡って左に曲がり、すぐに右に入ると再び旧東海道。しばらく歩くと「達磨大師の石像」(右)が。近づいて眺めているとそばで誰かがブツブツ言っている。思わず振り向いてしまったよ。スピーカーから小さな音で読経が流れていたのです。  


 さらに歩き高速道路の下を通ると草薙総合運動場に行き当たる。ここを右に曲がり県道を横切って「運動場駅」手前の道を左に入るといよいよ「府中宿」に近づく。「清水湊」と「清水次郎長の墓」も見たかったがちょっと離れているので寄らなかったのが残念。その代わりに府中宿で「徳川家康公」にお会いしていこうか。

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