表紙へ戻る

東海道五十三次道中記 

(16) 由比宿   「雪の薩埵峠」という乙な体験をしました。

 蒲原宿からわずか一里(約4km)という近さの由比宿であるが、この先に薩埵(さった)峠を控えていることから旅籠が32軒もあり賑わった
宿場だった。平成17年に、本陣のあった場所を「本陣公園」として整備し、「広重美術館」を併設するなど訪れる人を楽しませてくれる。

平成17年12月21日

 蒲原宿の西木戸跡から40分ほど歩き、東名高速の下を過ぎると「由比宿」へ続く「旧東海道入り口」(左)となる。左の道に入りしばらく歩くと、左側に「水神様」、右側に「地蔵堂」を見ることができる。

 地蔵堂のすぐ先に「由比一里塚跡碑」(右)が建てられており、道路向かい側には説明板が設置されている。

 これによると、ここは39番目の一里塚で、塚の上には榎ではなく松が植えられていた。しかし山側の松が枯れてしまったので十王堂が建てられた、などと記されている。

 一里塚の先が蒲原宿でも見た「枡形道」(左)。ここは1/3000の地図でもしっかりと枡形になっており、なるほどと納得がいく枡形(鍵型)構造であった。枡形道の前に「昔の商家」(右)の建物がある。
  

 枡形道の先の塀にはめ込まれた碑は「御七里役所之跡碑」。紀州徳川家の七里飛脚役所跡で、飛脚は腰に十手を差し徳川家の威光を示しながら江戸との間を往復していたようだ。

 200mほど歩くと、由比宿の中心街(当時の中心)になり、「本陣跡」(左)が本陣公園として整備されている。

 屋敷門と塀が復元され、門の左側には「馬の水飲み場」、門を入ると左手に「物見櫓」、右手に「本陣井戸」、そして奥の左手に明治天皇が小休止したという「御幸亭」(右)なども復元されている。

 正面奥が「広重美術館」で、広重を中心に浮世絵版画の展示が行われている。また版画の制作過程も展示されているので見逃せない施設である。

 本陣公園を出ると目の前にある家が「正雪紺屋」(右)。 現在は18代目吉岡家が紺屋を継いでいる。
ここは三代将軍家光の死後、幕府転覆が企てられた慶安事件の首謀者「由比正雪」の生家でもある。

 
 正雪紺屋の隣が「脇本陣温飩屋(うんどんや)(左)。その斜め前に「脇本陣羽ノ屋跡」(左)と正に宿場の中心といえる。

 温飩屋の数軒先にある「おもしろ宿場館」(左)の入り口で弥次さん喜多さんが声も出さず大きな口を開けてわめいている。この辺には観光客が多いが、ここでも熟年女性強し! 

 おもしろ宿場館から数分の右側にある徳田屋商店が当初の「脇本陣徳田屋」があった場所。今は徳田商店となっており子供たちが集っているが、きっと子供たちに魅力あるお店なのだろう。

 その先左側の塀に「由比宿西木戸跡」の説明パネルが設置されている。

ここから平成18年1月15日

 「曇りのち晴れ」のはずが小田原辺りから雪がちらほら。 「温暖な由比では雨だろう」が大外れ。由比駅でもさかんに雪が降っている。「雪の薩埵峠も貴重な体験」と強がりを言いながらポンチョをかぶって駅を出た。

 駅から由比宿方向へ少し戻り「ハラデンキ」の横を入る道が旧東海道であるが、ハラデンキが見つからない。この辺だろうと見当をつけて路地を入るとすぐに左へ曲がる道。 当たり! 薩埵峠へ向かって出発だ。
 

 県道を左へ歩いて行くと道路向こう側に「今宿の六地蔵」(左)。この地蔵様、赤ではなく白色の涎掛けを付けている。うーん、白の涎掛けねー。ピンとこないなー。
  

 六地蔵から1~2分歩き歩道橋を渡って旧街道に入って行く。「寺尾沢橋」を渡りちょっと歩くと、右側に由比宿の案内板。その先に昔懐かしい「格子戸の家」(左)が見える。雪の中の古民家の街並みも乙なものだ。

 4~5分歩くと右側に「小池邸」(右)。左先に「あかりの博物館」がある。

 小池邸は、 江戸時代の名主小池家の母屋で、 現在は町が買い上げて一般公開している。雪が強くなってきたので小池邸に避難。管理人のお母さんから甘酒をご馳走になったが、旨かったーっ。 

 小池邸でかれこれ30分ほど過ごしていたら、雪が小降りの雨に変わったので再び出発。 小池邸のお母さんありがとう。


 「庚申塔」、「八坂神社」、「鞍佐里神社」、「脇本陣柏屋
」などを見ながら歩いたが、右の写真のようなかわいらしい橋が沢山あり、それぞれに趣向が凝らされているので橋を見るのも楽しい。

 ちなみに小さな橋は
 「寺尾沢橋」 「中の沢二号橋」 「大沢橋」 「権現橋」 「寺沢橋」 「倉沢橋」 と続く。

 脇本陣柏屋のすぐ先が「望嶽亭藤屋」(左)。離れ座敷からの富士山の眺望がことのほか良いので「望嶽亭」。文人墨客が好んで休息したそうだ。また、慶応3年(1867)、官軍の目から逃れる山岡鉄舟をかくまったことでも有名。

 望嶽亭の前に40番目の「西倉沢一里塚跡碑」(右)が立っている。小池邸にも何本か有ったが、碑の横に有る大量の棒は薩埵峠を登るときに使った杖代わりの棒である。

 一里塚の前が薩埵峠への登り口。いよいよ峠越えだ。

 ところで峠の名前の由来だが、倉沢の海から引き上げられた地蔵菩薩を峠に祀ったので、菩薩の別称薩埵から「薩埵峠」

 峠に大小2本の「薩埵地蔵道標」が建てられている。また薩埵峠で2度の合戦が行われたことが記された説明板もある。最初は足利尊氏と弟の直義が。次は武田信玄軍と今川氏真軍が。 この先の駐車場には「薩埵峠山之神遺跡碑」(左)が建てられている。

 駐車場の階段を下って遊歩道を歩いた先の「展望台から眺めた景色」(右)は素晴らしい。広重の「東海道五十三次由比宿」で描かれた場所がまさにここ。残念ながら先ほどまでの雪で富士山を見ることはできなかった。

 晴れていれば富士山が見られるはずだがあいにくの天気。ところがこの先の休憩所で思わぬ事が。曇っていた空から再び雪が降り出したではないか。富士山の代わりに思わぬ「雪の薩埵峠」を味わうことが出来た。

前の宿場蒲原宿へ    次の宿場興津宿へ    表紙へ戻る