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日光西街道道中記

(6) 文挟宿 文挾(ふばさみ)宿には本陣は無く名主が兼務していたという山間の小さな小さな宿場であった。
杉並木が途切れると旧宿場街の町並みが現われるが わずか数分で再び杉並木の続く山の中の
街道となってしまう。
街道地図

(1)飯塚宿  (2)壬生宿  (3)楡木宿  (4)奈佐原宿  (5)鹿沼宿  (6)文挟宿  (7)板橋宿

平成20年1月11日 日光街道の杉並木に勝るとも劣らない杉並木道が堪能できます

鹿沼宿を出てかれこれ1時間、 「例幣使街道の杉並木も見応えあるよ」 と言われたがその「杉並木入口」(左)が見えてきた。鬱蒼とした杉の森の中に街道が飲み込まれていく。

杉並木入口の右側に建てられた石塔は日光街道でも見かけた「並木寄進碑」(右)。相模国玉縄藩の初代藩主であった松平正綱は日光街道・例幣使街道・会津西街道に杉並木の植栽を行い東照宮に寄進。その並木は世界最長なのだとか。

杉並木道を歩きたいのだが今は歩道の無い車道に変身。ここを歩くのはかなり怖い。ちょっと雰囲気は薄まるが並木外側の遊歩道で我慢。

ここから平成20年2月19日
遊歩道を30分ほど歩くと小さな土盛りがある。どうも遊歩道を作るために一里塚を小さく削ってしまったようだ。もったいない。  しかし遊歩道の無い反対側の「小倉一里塚」(左)はほぼ原型のまま。

一里塚から7〜8分歩くとJR文挟駅(こちらは挟を使用)前に出るが、その先数分のところが文鋏の追分。「追分道標」(右)に刻まれた行き先は「右鹿沼 出流 岩船 左大谷 田下 宇都宮 道」。写真は振り返って撮影。
 

追分のすぐ先、左の街道際に鎮座しているのは「延命地蔵」(左)。なんと真っ赤な手編みのセーターを着ているのだがお地蔵さんには赤い涎掛けの方が似合うのだがなー。

延命地蔵の辺りから「文挾の旧宿場街」(右)。しかし古民家などは見当たらず それらしい表示も無し。今の街道筋で往時の面影を探すのは難しい。


ところが宿場外れの二荒山神社に江戸時代の遺構があった。
境内左手にごく普通の木造倉庫があるが これは飢饉に備えた「郷蔵」(左)。江戸時代末期に建てられたのだそうだ。

街道は神社脇を左に曲がって行くが並木の外に木道が整備され前方には「日光連山」(右)がキラキラ光っている。快適な旅だ。

江戸時代に徳川将軍が通り、旅人が歩いた道は「杉並木の車道」(左)に変わってしまい人間は並木の外を歩かなければいけない。 なんだか変だね〜。しかし遊歩道を整備してくれたので許すか。

と思ったのもつかの間、途中から遊歩道が無くなってしまう。さあ困った。よく見ると「並木の外に踏み跡」(右)がある。助かった!

しかしこれが結構難儀だったんだ。時には薮こぎをしたり、右足で踏んだ枯れ木が跳ね上がって左足に絡まったりと。

聖徳太子と刻まれた石碑を見たりしながら日光西街道(例幣使街道)最後の板橋宿へ。相変わらず踏み跡を探しての街道歩きが続く。


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