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日光西街道道中記

(4)奈佐原宿  楡木宿からほど近い奈佐原宿は間宿だが、ここも楡木宿と同様に幕府の天領であった。 街道地図

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 平成20年1月11日  「国選択無形民族文化財」が二つもある宿場です
楡木宿と奈佐原宿の間は街続き。いつの間にか奈佐原宿に入ったようでバス停の表示が「奈佐原集落」(左下)となっている。

ところで先ほどから気になっていることが。道路標示が例幣使街道である国道293号と壬生道の国道352号の両方が表示されているではないか(左写真)。一本の道路に二つの国道名が付くとは珍しい。

珍しいものがもう一つ。奈佐原宿で人形浄瑠璃を鑑賞することができる。しかも無料で。平成20年は2月10日に公開するそうだ。「奈佐原文楽 用具収蔵庫」(右)がガソリンスタンドの裏にある。

コメント:奈佐原文楽は国選択無形民族文化財

20数分歩くと名残りの杉並木があり、その先に「生子神社」(左)の案内看板がある。ちょっと遠いが寄り道を。 

この神社では国選択無形民族文化財の「子供泣き相撲」(右)が秋の例大祭に行われる。「泣く子は育つ」というが早く泣いた方が勝ち、いやいや今は両方勝ち。高い高いと喜ぶ子供もいるそうですよ。

神社名の由来だが、「元々は籾山明神と呼ばれていた。昔、氏子の子供が亡くなった時、蘇生祈願をしたところ三日後に生き返った」ということから「生子(いきこ)神社」と改称したのだとか。

街道に戻り3〜4分歩いた先の右奥、「光明寺山門」(左)の彫り物が見事。この寺院は寛正年間(1460〜66)の創建で徳川家光から朱印地7石を与えられている。

光明寺を出て街道を1kmほど歩くと右斜めに真っ直ぐの道があるが、この奥は押原神社。

押原神社は大同4年(809)創建という歴史ある神社。境内左手の竜神が住んでいたという「竜神の泉」(右)は湧水量豊富で村の生活用水ばかりか田畑も潤して村を大いに栄えさせたのだそうだ。

街道に戻ると鹿沼宿が目の前。 鹿沼には見事な彫刻が施された絢爛豪華な屋台が何台もあるということなので楽しみだ。

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