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日光西街道道中記

(3)楡木宿  壬生道と例幣使街道が合流した街道筋の宿場として発展。元禄以降は天領として幕府の管理であったが助郷制度で維持される小さな宿場であった。今の楡木には往時の面影は見られない。 街道地図

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 平成20年1月5日   街道から前方後円墳の全貌を見ることができます。
稲葉の一里塚で一休みした後、馬力神などを見ながら壬生道をてくてく小一時間。左手の田圃の中に見える小山は「判官塚古墳」(左下)。

この古墳は全長61mの前方後円墳で七世紀前半のもの。一目で全貌が見られるとは嬉しいじゃないですか。後年、源九郎判官義経の冠を埋めたので判官塚と呼ばれるようになったのだとか。

古墳から数分の所に壬生道に入って五つ目の「北赤塚一里塚」(右)が現存。歩道を作るために半分削り取られてしまったのが残念だが、半分残ったので良しとしよう。

塚の向こう側に馬力神や勝善神、馬頭観音などお馬様の神様、はたまた庚申塔などがずらーと並んでいる。

一里塚の前から緩い上り坂となり上りきった辺りが判官台と呼ばれる場所だが前方に「名残りの杉並木」(左)が見える。「いい雰囲気が現われてきた」と喜んだのも束の間だった。

杉並木から5〜6分歩き小学校脇を左に入った先の磯山神社は三代将軍家光より御朱印地を附せられた由緒ある神社。

その「本殿」(右)は寛文2年(1662)の建造と伝えられ三間社流造で、建物全体が弁柄塗りとなっている。屋根は桧皮葺から銅版葺きに変わっているが優雅な流れが美しい。

街道に戻って15分ほど歩くと「楡木の追分」(左)に到着。中山道・倉賀野宿(高崎市)から分かれた例幣使街道がここで壬生道に合流。左写真は振り返って撮影したもの。

例幣使街道:日光東照宮に金幣を奉納するために朝廷から派遣された使者(例幣使)が通った街道で、中山道・倉賀野追分から分かれ、楡木追分からは壬生道を通って今市追分で日光街道に合流。

追分の合流点に設置されている「追分道標」(右)には「右中山道 左江戸道」とある。ここから楡木宿が始まるのだが今はごく普通の町並み。昔の面影が残っていないのが残念だねー。

追分から7〜8分先右側の成就院にある柳のような変わった木は「しだれあかしで」(左)。現在の木は二代目で栃木県指定の天然記念物だが初代は国の天然記念物であった。

今は冬枯れで幽霊みたいだが新緑の頃、紅葉の頃はなかなか見応えがあるそうですよ。

もう少し歩くと江戸時代からここに街道があった そんなことを感じさせてくれる勝善神や馬頭観音などの「石塔群」(右)が道路際に。

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