五街道
 江戸時代、五街道と呼ばれた 東海道 、中山道 、甲州道中、・日光道中、奥州道中は、幕府の道中奉行が管理し
良く整備された街道であった。 今でも、往時の面影が各所に残り、また残そうと努力が続けられている。

「五街道の旅」は、当時の五街道とその脇往還を巡り、歴史に残る遺構・遺跡を訪ねた記録である。...


色文字の街道・資料はリンクしています。
脇往還   
*日光御成道 平成19年9月8日完
*日光西街道 平成20年2月19日完
*例幣使街道 -
*水戸街道 -
*会津西街道 -
*大 山 道 -
*成 田 道 -
- -
五街道  
*東 海 道 平成18年6月12日完
*中 山 道
 旅の途中です
 最終更新日
 2009・1・1 歌枕
*甲州街道 平成19年2月2日完
*日光街道 平成19年4月26日完
*奥州街道 平成19年11月22日完
関連資料 
*五街道のルート
*脇往還のルート
*東海道の一里塚
*中山道の一里塚
*東海道の芭蕉句碑
*中山道の芭蕉句碑
*中山道の歌枕
街道を旅されている方のリンク集

 徳川家康は全国の支配を磐石なものとするために、慶長6年(1601)から交通網の整備に着手。特に江戸日本橋を基点とした
五つの街道を主要幹線と定め、幕府の道中奉行に管理を行わせている。また、五街道に接続する主要街道を脇往還として定め、
勘定奉行の管轄で
(一部道中奉行管理の脇往還もある)地元の藩に管理を行わせていた。

 これらの街道には宿駅を設け、公用の書状や荷物の運搬取次ぎを行う問屋場、公用人の宿泊を行う施設として本陣・脇本陣を、
一般旅人のためには旅籠が設けられていた。また、旅人の便宜の為に街道筋には一里毎に一里塚が設けられてもいた。

 明治維新で国の制度が変わりこれらは廃止されたが、その遺構・遺跡が各地に残り、整備・保存が行われている。

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